どちらかにコミュニケーションを取ろうという意欲がないと、さーっと流れてしまう。
企画のプレゼンテーションなどは、かなり相手のこころを鷲掴みにしないと、印象に残らない。
自分がしたいことを強く働きかけないと、皆んなのこころに引っかからない。
呼びかけるアクションを起こさないと、誰も振り向いてくれない助聽器
別に振り向いてもらい、自分を理解してもらう必要がなければ何の問題もない。
だが、その必要があることもある。
必要があっても、わざと黙殺することもある。
世の中は、熱き美しい情熱やキレイごとでは済まされない、色々難しい仕組みになっている。

わたしを理解して!と望むなら、アクションを起こさないと、自然になすがままにしていると、誰も何もしてくれない。
棚からぼた餅は、ムシが良い話。
誰もわたしをわかってくれない、、、のは、わかるように働きかけていない醫學診斷中心
(といっても、セフティネットから溢れ落ちてしまうような深刻な事例には言及していない)
してもらって当然ではない。
善意にすがるのも、良い場合と良くない場合がある。

大人なら、自分の身は自分で守る。 
そのためには待ちの姿勢ではなく、自らが働きかけないと動いてくれない。
当たり前のことなんだが、わたしは若いある時期、異国にいる自分を見て客観的な自分が見えた。
何を今更、、、の未熟な話で幻滅、ガッカリされたことだろう兒童發音問題、、、
いいの、いいの。笑われても。
所詮、わたしはそんなもん。