おはようございます。晴れ

今週の月曜日に法人会の講演会に参加してきました。

川口駅前のフレンディアにて、講師として川口前市長永瀬洋治氏による講演でした。



内容としては、川口市の人口が増えると同時に川口の歴史を知らない市民が多い為、昭和30年・40年代頃を中心に話を聞きました。

なぜ川口が鋳物の街になったのか!

地理的に荒川と芝川があり、砂と粘土に恵まれていたことと東京に近かったことが鋳物の街として長い歴史と経済効果をもたらした。

そんな経済成長の中昭和37年キューポラのある街 で映画撮影地として有名になった。

昭和37年に川口市民歌が佐藤八郎氏により作られたそうです。

そして昭和42年埼玉国体で川口市は、水泳、軟式テニス、軟式野球の会場として川口市内がさらに変わってきた。

現在の川口からは想像できないほど鋳物工場が多かったが、その鋳物工場は現在高層マンションとして変わり新しい市民が住んでいるのです。

川口に住んで良かったと思える街になるためには、長年住んでいる住民の受け入れ態勢と新しい住民が川口とはどのような地域なのか歴史を知る大切さを感じました。


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