1.勤務した年数と当時の年齢

 2度目の転職をしたのは、28歳の時でした。知り合いの紹介で、25歳の時に従業員数150名ほどの紳士服の販売業の事務職として採用され、3年勤務した後に退職しました。

 

2.就職を決めた理由

 当時はまだバブルの時代で、紳士服の販売も、郊外に大きな店舗を出店して販売拡大をしてゆくという時代でした。増員のため事務職を募集していると知り合いに声をかけてもらい、希望していた事務職ということで就職を決めました。

 

※転職で参考にしなったページはこれです↓

 

フリーターから正社員になれる!職種ベスト5

 

3.仕事内容

 

仕事の内容は、本部事務の仕事でした。当時10店舗ほど持っており、数年には倍の20店舗にしたいという会社で、ちょうど電算システムを新たに開発しているので、その管理者として勤務してほしいということでした。

まず会社の業務の流れを覚えて、その業務をシステム設計、開発をしているコンピュータシステム会社のシステム設計と照らし合わせ、業務のすり合わせを行い、実際のシステムとして完成させてゆく作業でした。

まず、店舗の販売の流れを覚え、本部の発注の方法を覚え、経理の会計事務の流れを覚え、それをシステムにのせてゆくために、自分もシステム設計の方法、プログラミングを覚え、といろいろなことを一気に覚えてゆくことになりました。

 

 

4.業界の実情(勤務時間、社風などの特徴)

 

紳士服販売の業界は当時上向きの状態で、非常に好景気。

事務の部門は、店舗と違い残業は少なかったです。

ただ、当時はなんとなく定時に帰るというのがはばかられる風潮があって、時間がきた後も、30分から1時間くらいなんとなく仕事をしたものです。社風なのか、時代的にそうだったのか、みんなそうしていました。

私の勤めた会社は、先代の築いた会社を2代目が大きくしてゆくという時期だったので、従業員数がそれなりにいてもやはり全体的にワンマン社長の経営する家族会社という雰囲気がありました。

 

5.勤務年数と年収(勤続年数に対してどのくらいの年収があったか、業界の平均年収の特徴など。仮に定年まで働いたらどのくらいの年収がもらえるか、など)
 

賃金は、当時の大学初任給より少し良くて、月15万程度でした。ただし、ボーナスは3か月。まあ、地方の企業では標準的な賞与でした。定期的な昇給も年1回ありました。

そのころは、生涯賃金(その場所でずっと働いてもらえる賃金の総額)の事など気にもしていませんでしたが、生涯賃金は1億5千万程度になったと思います。一流企業と比べると少ないですが、悪くはない生涯賃金になったと思います。

 

6.身についたスキル

 

電算部の責任者になるとのことで、コンピュータ会社に3か月くらい研修に行って、その会社の新人と一緒にプログラミングやシステムの教育をうけさせてもらったりしたことは、非常に良い経験になりました。

店舗の販売管理、本部の受発注システム、経理システムまで、すべて開発するとのことで、電算部の責任者として会社経営の流れを広く浅くですが覚えることができたのはラッキーでした。

 

 

 

7.この会社(業界)で働いて良かったこと

 

販売についての全体の流れが見えるところにいましたので、大変勉強になりました。

また、経営戦略についての会議にも出席させていただいていたので、こちらも勉強になりました。会社の10年先~50年先と計画立案するときに、人件費の試算として労働者の生涯賃金を計算したことは、勉強にもなりましたし、逆に言うと、「退職まで予定されている金額」を、自分自身に当てはめると複雑な気分にもなりました。それでも会社の経営戦略を見られる立場にいたことは良かったと思います。

お店の商品は、店員割引で買えましたので、それは良かったですね。あとは、店舗のスタッフが20代の方がたくさんいたので、一緒に飲んだりして面白かったです。

 

 

8.この会社(業界)で働いて悪かったこと

 

店舗販売、接客の仕事は、どうしても土日祝が忙しくなるので、週末には休むことができません。店舗の営業時間も夜10時までの営業でしたので、店長さんは大変そうでした。私は、電算部でしたので、基本的には日祝休みでいましたが、繁忙期には本部も店舗のヘルプとして店舗で販売の仕事をしましたので、それなりに大変でした。

電算部の仕事でいうとやはり時間に追われる仕事でしたので、開発の押し詰まったころには、かなり残業時間が増えました。それは大変でした。

 

9.辞めた理由

 

実務とシステム開発のすりあわせ、開発と実行と3年程度をかけて行ったプロジェクトが一段落。

途中、開発が間に合わないということになり、毎日4時間程度の残業が半年以上続き体調を少し崩してしまったことと、システムが稼働して運用が始まったことで、切れの良いタイミングだと思い辞めることにしました。