YouTubeのおすすめに興味深いAbemaPrimeの特集が出てきたのでアプリでフル尺で見てみた。

内容は割愛するが、大学生の身分から僕が思うのは、結局必要性が迫られない限り勉強はしないということだ。

茂木氏による、TOEICでは英語の能力を評価出来ないという主張は、僕もあらかた同意している。実際テストの内容は間違い探し的なもので、答えが正解か不正解か、正しいか、正確かどうかに依存している。実際に世の中で使われている英語がそんな型にはまっているわけもないのに、そういう型を覚えて問題作成者の用意した正解に合致する解答を、問題作成者と同じ思考方法でその通りに解答しなければ正解にならないようになっている。

ならばなぜこのような試験のために若い間の貴重な時間を費やす必要があるのか。それは当然就職活動するにあたって要求される資格がこれであるからである。そこで、冒頭に述べた「必要性が迫られない限り勉強はしない」という地点に舞い戻る。

英語はあくまでツールであり、目的ではないと理解しながら勉強する者は初めから英語の先にある目的を見据えているため、自然にTOEICの要求する英語能力を含みながらそれ以上の能力を持てるようになる。しかし英語の上達を目的としている(TOEIC800点以上とか)人はTOEICの問題に合わせた間違い探しのスキルを向上させるだけになる。その結果TOEICのスコアは高くても能力は低い、若しくは能力が高いのにTOIEICのスコアは低いといった状況が生まれるのだと思う。

しかし、そうした無意味なもののために時間を惜しまず努力を続け、それを楽しむ人もいるようだ。これはこれで自分は全く軽蔑することはない。なぜなら彼らにとってTOEICの勉強はゲームだからだ。「無意味なものとわかっていながら楽しむもの」の代名詞がゲームだと私は思う。

しかし、ゲームとして勉強を楽しむ者にとって、その楽しみの源が本当に心から楽しめていることであるかどうかには疑問だ。テスト問題を勉強した通りに解答してスコアを上げていくことが楽しいのであれば止めないが、それが無意味であっても続ける人はどのくらいいるのだろう。

この点で、同じゲームでもゲームをする人とTOEICの勉強をする人とでは認識が異なる。スプラトゥーンしてる人はこの行為が無意味であることは承知しているが、TOEICの勉強をする人はそれが意味があると思い込んでおり、無意味であることを承知していないと思う。

ゲームは無意味であっても楽しいからやるが、勉強は意味があると思って嫌々やることが大半だ。それでもその勉強が将来的な目的や仕事に必要となるならば努力は惜しまないだろう。だから人々はTOEICを嫌々勉強する。

では、ゲームは無意味でも楽しかったからいいけど、TOEICの勉強が無意味でかつ嫌々やってたら後に残るものは何だ?

何もない


ゲームは無意味なように見えてその後「楽しかったという記憶」を残す。

嫌々勉強した後は嫌だった記憶だけが残り、何の意味も残らない

それが今日、「教育」と呼ばれているものの本質だと思う。

そんな状態が許されて良いのか?

だから教育は無意味であってはならない


「楽しめるものを見つける」という若い間に行われるべき最も大切なことが、「言われたことを嫌々でも言われた通りやる」に置き換えられ、自分のやりたいことが見つけられない。しかも嫌々やったことが無意味。でもそれまでの努力を無にしたくないから、苦し紛れに無意味なものに空想の意味とかやりがいを見出そうとする。そしてそれを後世にも要求し何も知らない子供を無自覚に洗脳する。こんなに救われないことはない。

これまででわかったように、TOEICもまた同様に、「要求されていることを嫌々でも言われた通りやる」ことの延長なのだ。


「必要性がなければ勉強しない」

この中の必要性というのは自分で目的を見つけられる人が見つけられるものだ。

目的があれば必要なものは自ずとわかる。そしてそれが英語であればTOEICより先の必要なものまで見えていてそのためなら勉強も楽しめるだろう。しかしただとりあえずTOEIC800点以上が目的で後のその英語力を使った仕事をするといった目的がない場合、楽しく勉強出来るだろうか?私には出来ない。スプラトゥーンは面白いからいいけど、英語の勉強を純粋に楽しめる気がまるでしない。娯楽が溢れかえっているこの世の中なら尚更だ。


だから「必要性がなければ勉強しない」という指針が非常に大事だと思う。勉強はあくまで目的や目標に至るための通過点であり、その逆ではないということだ。

つまり目的から逆算して

目的→必要な能力→努力

という考え方の順番を間違えないことが大切であり、努力から先にやった場合

嫌々努力→何らかの能力→目的?

となり、それまでの嫌々な努力に縛られて嫌々な目的が作られる。精神を病むのも時間の問題だ。

実際私は大学受験に意味を見出せず一時期廃人だった。


長くなったのでとりあえず締めます

つまり結論は、

テスト勉強に費やす時間があったら好きなことをやれ

ということだ。


私は今教習所に通っているが、これも当然無意味だ。でも、無意味であるとわかっていながら通っている。だからゲームと同じ