あなたがいくら機嫌が良さそうでも、その裏に隠れているとげへの警戒を私は忘れない。


細かすぎる日常のことへの要求、思うようにならないとき、その相手に向かって言う言葉...それを避けるように、かかわらないようにしてきたのが、今の家の雰囲気。





あなたの普段の対応の結果だと知ってほしい気持ちで、私はそのままにする。



私ならそう思うけれど、
でも、あなたは寂しいなんて感じていないのかもしれない。


単に私が病気だと。





こんな私は、何て性格が悪いんだろう。


村上由佳が再婚の時に、わかれただんなさんのことを「今でもいい友達」と表現しています。



とても違和感がありました。

「友達」という言葉に悪いんじゃないかな。



「あなたは小説に書かれたことと、実際の彼女とだんなさんとの関係を同一と思っているでしょう」と言われるかもしれません。

また、一度強烈に嫌な部分を知ったり、経験したりしてしまうと、たとえ普段は普通だったとしても、気を許すことができないという私の性格のせいもあると思います。



ただ、彼女自身も「人と対立することを避けてきた」と言うし、彼女と母親やだんなさんとの関係についての記述を読むと、彼女が全然違う感覚を持った人とは思えません。

だから「ともだち」という言葉は、だんなさんへの気遣いの、もうあなたは必要ないと自分から切ることができないという気持ちからだけきているように思えるのです。

小説のなかでも同じことになっています。



そんな意味で友達を使うなら、何も言わない方がいい。



ダブルファンタジーでは、志澤とは、彼のなかに自分は必要ないのだという確証を感じて別れ、岩井とは自分が感じたことにしたがって別れています。

小説では別れたところまでは書いていませんが気持ちのうえではそう。

岩井との関係はその後どうなったでしょうね。 やっぱり友達として続くことになるのでしょうか。



岩井の最後の部分はやはり情けない。 男としてありがちかもしれない。

自分も未練があってわかっていながら接したことがあります。

客観的にこうして見せられると恥ずかしい。ダメとわかったら振り返らないことなんだな。



太宰の「おさん」という小説。

何て寂しい表現なんでしょう...
主人公の夫が恋人の所へ向かうために、魂の抜けた人のように静かに玄関から出ていきます。
情けない、悲しい後ろ姿を見せて歩いていきます。
子供のためにも、いまさら夫と別れることもできないと心に思う妻。
夫は「君はプライドを持っていていいんだ。僕はいつも君を思っている」と言います。
妻は「私をそう思いつつも他の人を抱きしめていることが私を地獄につき落としている。妻の前で道徳の煩悶なんかをはじめて。人を愛するなら、妻のことなど忘れるくらい無心に愛してあげてください。」
と言います。

相手の日記を元に小説を書いたりしていた太宰。
妻と愛人2人、子供もいて、自分の体はままならず、お金の取り立てもされて...八方ふさがりですよね。
本人は「こういう時は寝るに限る」というけれど、基本的に気の小さい太宰のなかではどうしていいかわからないという感じだったのだろうと思います。
言葉が通じないと色々な場面で言われてきた気がします。
交わした言葉の数だけ信頼が深まっていく。 小説のなかの言葉です。
舌たらずな所が多い私とは、すこしずつやりとりをしながら、わからないところは修正し、理解をしていくという、時間のかかるコミュニケーションの方法になります。
相手は大変だったと思います。

時間なのでまた書きます。



毎週土曜はDocomoの TOKYO Remix を聞きながら料理を作ったりしていることが多いのですが、今日聞いたCMは面白かったです。


こういうノリが好きです。


Docomoのサイトで聞くことができるんですね。





http://www.nttdocomo.co.jp/corporate/ad/radio/111209_01.html