そう願った私自身の気持ちが荒れています
怒りやマイナスの感情は広げたくないけれど、我慢もここで気持ちを吐き出しますので、読み飛ばしていただけたらと思います。
来年4月、ミシェル・オバマさんの講演がストックホルムであります。「行こうかなぁ。行くなら、(11月に発売された)彼女の新刊を先に読まないとね」とサンボに話したことがありました。
そしてクリスマスプレゼントを買いに出かけた時、本をチラ見したいと本屋へ一緒に行きました。スウェーデン語の翻訳本(日本語はまだですよね?)も出ていたので、原書と両方を手に取りました。
「厚い本だね。どちらも読むのは大変そうでも(日本語翻訳がないなら)原書にする」とサンボに本屋で言い、購入はしませんでした。
昨夜プレゼントを開けると、この本がありました。あらぁと思ったのも束の間。スウェーデン語の翻訳本でした。なぜ
「何軒か行ったけれど、英語は売り切れだった。スウェーデン語も同じだよ」
はぁ
売り切れだもん!スウェーデン語で読めばいいじゃん!という軽い気持ちに、腹がたちました。
欲しかったから、原書の方が少し高くて在庫切れが多いことを知っていました。でも、本当に想ってくれているなら、次回入荷を予約し、それをプレゼントしてくれると思うのです。ものは24日に無くても、彼が私の為に用意してくれたこと、その気持ちで充分私はそういう人…。
また、もしサンボが「Suzuのスウェーデン語を上達させる為には、もっとスウェーデン語で本を読んだ方がいいから」と言ったなら、違っていました。
その後、気を取り直して本を読んでみましたが、内容が入ってきません。序章の1ページでダメこの翻訳本に私は興味が持てません。
サンボに「レシート残っている?英語に交換したい」と言ったら、「そんなの無いよ。そんなに英語で読むのが重要かよ」と少し怒り始めました。私も怒りが沸々としてきたので、何かを言えば喧嘩になる、イヴの夜には避けたいと話をやめました。
自分で原書を買えば、本に関してはです。私の怒りは、サンボの振る舞いなのです。
一緒にいるのに、そばに居るのに、私のことを分かろうとしていない。耳で聞いているかもしれませんが、私の心を聴いていない←臨床心理学を専攻したので、こういう点は敏感な私。
サンボの家族にプレゼントを用意する時、彼は「Suzuがプレゼントしたいものよりも、相手が喜ぶものを選ばないと」と口癖のように言います。その言葉、アンタにそっくりそのまま返すよ
プレゼントを貰えるのは当たり前ではない。考えてくれたことも分かる。ありがとう。だけど、なんかダメ
サンボは私からのプレゼントを楽しんでいます。(頑張って用意した分だけ)彼が喜んでくれるのは嬉しいです。しかし、それが今は余計にイライラするので、家を出て来ました。
街中を歩き、fikaをし、このブログを書いたので、まだ気持ちは100%回復していませんが、そろそろ帰ろうかな。