元ブルー飛行班長のSUITさんが空自をお辞めになって和菓子屋さんを営むそうで、地元民ではちょっと盛り上がってます。
ポン菓子と言えばポン菓子、そうじゃないと言えばそうじゃないそうです。
個人事業主として菓子製造業との事です。
昨年のエアフェスタ浜松の時にちょっと噂になってましたね。
場所は天竜区の山間部(天竜区は山間部がほとんど)
まだ屋号の「杏庵 ぽんや」しか発表されてませんが、今年の夏ころオープンの予定。
オープンしたらSUITさんファンで大渋滞の予感(笑)
もちろん僕も行きたいです。
「杏庵 ぽんや」でインスタもあります。
「道との遭遇」って番組があります(静岡ローカルでは再放送)
その番組でも紹介されましたが袋井市宇刈と掛川市吉岡の間に明治期(明治35年頃と聞いてます)に掘られた4つの隧道があります。
隧道とはトンネルの事。
なかなか行く機会が無かったが、先月行ってきました。
僕がこの隧道を知ったのは、何年も前に戦争遺跡の本を読んだ時に知りました。
中島飛行機の地下工場(掛川市遊家・原谷・家代などにあり)の事を調べていた時に知ったわけですが。
ちなみに中島飛行機は現在のスバルに繋がります。
元々この隧道は、茶畑に行く際の近道として掘られたそうです。
場所は宇刈里山公園の南地区。
隧道は写真の反対側。
公園の一部なんで車は5台止めれます、トイレもあり。
車を止めて歩いていきます。
グーグルマップによると、隧道を全て抜けると片道750mです。
この辺りは、タヌキや猪は普通にいるでしょう。
熊はいないです。
進みます。
周りの景色も撮って。
アスファルトからコンクリートに変わります。
まぁ、隧道なんで坂道になっても不思議ではない。
僕が隧道を知るきっかけになったのはコレ。
太平洋戦争時に掘られた防空壕もしくは掩体壕。
隧道の先に吉岡飛行場が戦時中に造られたため、関係者や中島飛行機への部品や資材を守るために掘ったらしいです。
吉岡飛行場とは、第二大井飛行場が正式名。
第一は東名牧之原インターの北側でした。
戦争末期、太平洋に現れた米軍艦隊に対して特攻する目的で造られたそうです。
更に進みます。
方角は西から東に歩いてます。
一つ目が見えました。
標識マニアにはたまらない、「この先トンネル4ヶ所有り」の表示。
隧道の名に相応しい手掘りです。
今日はここまでにさせて頂きます。