2129回目思い出
水曜日に届いた訃報。
それは
La'cryma Christiの初代マネージャーだった
ボビーこと湯浅氏が急逝したというものでした。
俺の2つ年上で
まだまだ若かったから
突然の訃報にとても驚きました。
そして
今日、お葬式に参列してきました。
人数を制限していると聞いていたのですが
行ってみたら制限していても物凄い人数の方が最後のお別れに訪れていて
彼の人望の厚さをあらためて感じました。
彼に最初に会ったのは
ラクリマがまだデビューする前だから
16~7年前だと思います。
彼はラクリマにとって初めて就いたプロのマネージャーでした。
同世代という事もあって当時から
マネージャーであり友人であり兄貴のような存在でもありました。
当時はマネージャーとはどんな存在かという基準すらわからなかったのですが
その後、数多くのマネージャーとお仕事してきて
彼程、自分のヴィジョンを持ってそれをなんとしても実現させようと
アーティストや上司と戦うマネージャーはいないという事がわかりました。
彼は、メンバーに
「それは間違ってると思うね!カッコ悪りぃよ!」
などと意見をぶつけてきたり
「会社はそう言ってるけど、そんなダサい事をバンドにさせてたくない」
と言ってバンドの立場に立ってくれてたりする時もありました。
そんな自分の意志を持って
それをなんとしても実行しようとする生き方だった彼だけに
会社やメンバーとぶつかる事も多々ありましたが、
それがその後のラクリマの成長にとても役立っていたと思います。
彼はアルバムで言うと
Dwellers of a sandcastle~Sculpture of timeの時代だから
一番大変な時代のマネージャーでまさに苦楽を共にした思い出がいっぱいあります。
メンバー車と機材車の2台で九州から北海道までツアーしてた時代も彼。
彼はローラーブレードが得意で金沢の夜の街を走ってなぁ。
山中湖のスタジオに何週間も寝泊まりしてまさに缶詰でアルバムも作ったりもした。
そうそう!
彼はマネージャーでありながら物販もやってて
ライヴを録画してたカメラがライヴ後そのまま録画されてて見てたら
彼が物販している姿がたまたま映っていてその売り方が、強引でまるで
テキ屋の兄ちゃんみたいで笑ったのも覚えてます。
だってお客さんが商品を持ったら「あ!持ったね!持ったんだから買ってよね!」って言ってるんです。
きっと彼から強引にグッズ買わされたファンも多いと思います(笑)
それとか
俺がたまに冗談で業界用語を使うのですが、それを教えてくれたのは彼です。
クラシックロックジャムに無名の若手ドラマーの俺が参加出来たのも彼のおかげです。
ラクリマ15周年ライヴのパンフレットでヒロさんが語ってくれている俺の事(飲めないビール飲んでたという件)
あの場にいたのはヒロさんと彼でした。
俺が今考えると小さな事でスネちゃって
「もうやめる!」つって
家でウジウジしてたんです。
そしたら、二人が家に謝りに来てくれてね。
今、考えるとヘドが出そうになるほど
幼稚で女々しいクソ餓鬼な俺の行動だったのに真剣に誤ってくれて
あの時の二人の気持ちは心底嬉しかったなぁ。
その後
マネージャーは変わって(マネージャーが定期的に変わる事務所だったので)
彼と会う機会は減りましたが
何年か経って
ラクリマが当時所属していた事務所を離れる事になった時に
力を貸してくれたのは彼でした。
そしてその後
俺がTHE HUSKYを結成した時も力を貸してくれたのは彼でした。
ライヴを見に来てくれたり
ファミレスで何時間もアドバイスしてもらったりミーティングしました。
俺は彼に何度も助けてもらっているのです。
俺みたいに彼に助けてもらった事がある人がきっとたくさんいるんだと思います。
俺は図々しいから
また困ったらボビーに相談にのってもらおうって勝手に思ってたんだけど・・・
ボビー
今までいつも力を貸してくれてありがとう!!!
最高のマネージャーだったよ!!!
どうか安らかにお眠りください。
それは
La'cryma Christiの初代マネージャーだった
ボビーこと湯浅氏が急逝したというものでした。
俺の2つ年上で
まだまだ若かったから
突然の訃報にとても驚きました。
そして
今日、お葬式に参列してきました。
人数を制限していると聞いていたのですが
行ってみたら制限していても物凄い人数の方が最後のお別れに訪れていて
彼の人望の厚さをあらためて感じました。
彼に最初に会ったのは
ラクリマがまだデビューする前だから
16~7年前だと思います。
彼はラクリマにとって初めて就いたプロのマネージャーでした。
同世代という事もあって当時から
マネージャーであり友人であり兄貴のような存在でもありました。
当時はマネージャーとはどんな存在かという基準すらわからなかったのですが
その後、数多くのマネージャーとお仕事してきて
彼程、自分のヴィジョンを持ってそれをなんとしても実現させようと
アーティストや上司と戦うマネージャーはいないという事がわかりました。
彼は、メンバーに
「それは間違ってると思うね!カッコ悪りぃよ!」
などと意見をぶつけてきたり
「会社はそう言ってるけど、そんなダサい事をバンドにさせてたくない」
と言ってバンドの立場に立ってくれてたりする時もありました。
そんな自分の意志を持って
それをなんとしても実行しようとする生き方だった彼だけに
会社やメンバーとぶつかる事も多々ありましたが、
それがその後のラクリマの成長にとても役立っていたと思います。
彼はアルバムで言うと
Dwellers of a sandcastle~Sculpture of timeの時代だから
一番大変な時代のマネージャーでまさに苦楽を共にした思い出がいっぱいあります。
メンバー車と機材車の2台で九州から北海道までツアーしてた時代も彼。
彼はローラーブレードが得意で金沢の夜の街を走ってなぁ。
山中湖のスタジオに何週間も寝泊まりしてまさに缶詰でアルバムも作ったりもした。
そうそう!
彼はマネージャーでありながら物販もやってて
ライヴを録画してたカメラがライヴ後そのまま録画されてて見てたら
彼が物販している姿がたまたま映っていてその売り方が、強引でまるで
テキ屋の兄ちゃんみたいで笑ったのも覚えてます。
だってお客さんが商品を持ったら「あ!持ったね!持ったんだから買ってよね!」って言ってるんです。
きっと彼から強引にグッズ買わされたファンも多いと思います(笑)
それとか
俺がたまに冗談で業界用語を使うのですが、それを教えてくれたのは彼です。
クラシックロックジャムに無名の若手ドラマーの俺が参加出来たのも彼のおかげです。
ラクリマ15周年ライヴのパンフレットでヒロさんが語ってくれている俺の事(飲めないビール飲んでたという件)
あの場にいたのはヒロさんと彼でした。
俺が今考えると小さな事でスネちゃって
「もうやめる!」つって
家でウジウジしてたんです。
そしたら、二人が家に謝りに来てくれてね。
今、考えるとヘドが出そうになるほど
幼稚で女々しいクソ餓鬼な俺の行動だったのに真剣に誤ってくれて
あの時の二人の気持ちは心底嬉しかったなぁ。
その後
マネージャーは変わって(マネージャーが定期的に変わる事務所だったので)
彼と会う機会は減りましたが
何年か経って
ラクリマが当時所属していた事務所を離れる事になった時に
力を貸してくれたのは彼でした。
そしてその後
俺がTHE HUSKYを結成した時も力を貸してくれたのは彼でした。
ライヴを見に来てくれたり
ファミレスで何時間もアドバイスしてもらったりミーティングしました。
俺は彼に何度も助けてもらっているのです。
俺みたいに彼に助けてもらった事がある人がきっとたくさんいるんだと思います。
俺は図々しいから
また困ったらボビーに相談にのってもらおうって勝手に思ってたんだけど・・・
ボビー
今までいつも力を貸してくれてありがとう!!!
最高のマネージャーだったよ!!!
どうか安らかにお眠りください。