798回目 樋口宗孝 | LEVIN オフィシャルブログ『LEVI LIMIT』 Powered by アメブロ

798回目 樋口宗孝

日本の数少ない

本物のロックスターがこの世を去った・・・



樋口宗孝



俺のドラマーとして人生は

この人から始まった。



14歳の時、兄貴の影響で

LOUDNESSを初めて聴き

「LIVE IN TOKYO LIGHTNING STRIKES」

というライブVHSで、完全にMETALの洗礼を受け

それまで聴いていた女々しいポップスは

一切聴かなくなる80年代にはどこにでもいる

METALに心を奪われた少年だった。


そのライブビデオは

見過ぎでノイズだらけになるくらい

見まくった。


そして今も、DVDになったそれを

流しながら、これを書いている。


このライブDVDはラクリマ時代にも

長いツアーの時には持ち歩いていた。


ツアーがどんな過酷な状況になって腐りかけても

これを見るといつでもあの頃、ステージに立つ事に

死ぬほど憧れた原点に戻してくれるからだ。


俺がドラムを始めたキッカケを

聞かれた時に答える

「ステージに立つ事に憧れて・・・」

という言葉に出てくるステージの一つは

このLOUDNESSのステージでもある。




今から20年前の1988年に

初めてLOUDNESSのライブを

大阪のフェスティバルホールに見に行った。


吐き気がするほどの爆音に耐えながら

初めてヘドバンの快感を知った。


その後、数え切れないほど

たくさんのアーティストライブを見に行く事になるのだが

その日のLOUDNESS以上の爆音を出す

バンドは、未だに見た事が無い。

先日、埼玉スパーアリーナで見た

モトリークルーですら、その時のLOUDNESSの爆音に

比べたら、爽やかな音量、音圧程度にしか感じなかった。


中学生の頃、周りには

HR/HMを理解する友達は一人もいなくて

俺だけが下敷きに、ヤングギターやBURRN!から

切り抜いたケバいメイクをした長髪の男達

(LOUDNESS、OZZY、MOTLEYなど)

の写真を入れていたから、それはもう女子にはキモがられた。


でも、そんな事はお構いなしだった。

女々しい音楽を聴いてるやつをバカにするくらい

音楽になるとマジになって実際キモい奴だった。


ある日曜日の昼に、LOUDNESSの姫路でのライブが

サンテレビで放送されるという情報を得て

同じクラスの仲の良かった女の子に


俺「めっちゃかっこええバンドのライブがあるからテレビ見てな」


女の子「え~その下敷きの人達やろ?・・・でもわかった。見るわ」


と言ってくれた。


そして月曜日。


俺「LOUDNESS見た?」


って聞いたら


女の子「始まったらすぐお父さんが来たから、恥ずかしくてテレビ消した」


俺「・・・」


そんなものだ・・・




そして、高校生になった俺は

METALの魂を持った仲間と出会い

ライブをするべくコピーバンドを始めた。

ギターはその後、ラクリマでも一緒になるKOJIだ。

ボーカルはどう見てもヤンキーだった。

まぁ、大半がヤンキーの学校だったが・・・



"LOUDNESS"

"CRAZY DOTOR"

"ARES' LAMENT"

"CRAZY NIGHT"

"LIKE HELL"

"S.D.I"

"R&R GYPSY"

"JEALOUSY"

"LONG DIATANCE LOVE"


LOUDNESSの曲は

思い出すのだけでも

これくらいはやった。

これ以外の曲も

俺はドラムはほとんどコピーした。


樋口さんのドラミングには

コピーしたくなる魅力があった。



その後、ボーカルが

マイクヴェセーラにチェンジした時のライブも

もちろん見に行った。一人で行ったと思う。


その後、ベースが元XのTAIJIさんになったツアーは

3回見に行った。

それまで、LOUDNESSのライブは70%は男だったのに

そのツアーから逆転して70%が女の子だった。

何故かYOSHIKIさんのコスプレの女の子もいた。

その時、初めてコスプレしている人を見た。

会場の雰囲気が今までと全然違っていたが

バンドはめちゃくちゃクールだった。


この頃から、樋口さんのドラムの

セッティングは1タム2フロアになった。

俺は、本人には直接言った事はないが

絶対、トミーリーの影響だと思った。

樋口さんは、絶対にトミーリーが好きだったと思う。


その後、LOUDNESSを脱退した樋口さんは

SLYを結成した。

ライブビデオを買ったが、樋口ドラミングは

何一つ変わっていなかった。



その頃、大阪のドラムショップACT主催の

樋口宗孝ドラムセミナーに行った。


その時、印象に残ったのが

樋口さんの左右から

噴出す工場用の強力な冷風機だった。

その後、俺も手に入れた。


そのセミナーの時、初めて握手をしてもらった。

元々大きな人だが、それに加え

全身からオーラがメラメラと出ていて

その光景は

さながら「北斗の拳」の

ラオウと握手するバットのようなものだった。



そして

月日は流れ

俺が加入していたバンド、ラクリマクリスティーは

運良く大きなステージに立てるまで成長した。


その時の成長を計る基準もやっぱり

LOUDNESSだった。

LOUDNESSと同じステージ立てた事は

最高の喜びだった。



そして!!

ある日、友達と遊んでいたら、友達の所に

シャ乱Qハタケさんから、樋口さんと飲んでるから

遊びにきいやと連絡が入り

その時に初めて樋口さんを紹介していただいた。


その頃には俺も、ドラマーとしてそれなりに

評価を得ていて、有名人に会うのも慣れていた

のだが、樋口さんにだけは、その時もまだ

ラオウとバット状態だった・・・


緊張で何をしゃべったのかも覚えてない・・・



でも

物凄く気を遣ってくれていたのは覚えていて

俺は一発で樋口さんが好きになった。


それ以降

俺は神と崇めていたドラマーに

ずいぶんと可愛がっていただいた。

もちろん良い意味でだ。

相撲会の「かわいがり」ではない。



数え切れないくらい飲みにも行った。

一時は毎晩のように会っていた。


家で料理をご馳走になった。


家でLOUDNESSのモトリーの前座時代の

ブートレグのビデオを見せてもらった。


新しい音源が出来るたびに

DATで聴かせてもらった。


湯河原のペンションを貸しきって

樋口さん、真矢さん、淳士くんと温泉旅行も行った。


樋口さんが武道館のライブに見に来てくださった。


恋愛相談をしたりされたりした。


ドラムセットもいただいた。


ツェッペリントリビュートアルバムで

レコーディングに立ち会っていただいたし

樋口さんのレコーディング現場も見せていただいた。


当時の愛車のミニクーパーという

超小さな車に、樋口さんを乗せてLOUDNESSのライブの

日に中野サンプラザまで、送迎した。

その日は1日密着させていただいて、サウンドチェックから

本番前の楽屋の雰囲気まで味わった。


他にも思い出はいっぱいいっぱいいっぱいある。


いつでも本当に優しかった。


本当に本当に優しかった。



丁度1年くらい前

樋口さんが電話をくれました。


樋口さん「おまえ、最近どないしてんねん?」


俺「新しいバンド組んで、またがんばってるとこです」


樋口さん「ほんまか?メーカーに話ししたるから

      音出来たら持ってこいや」


俺「わかりました!ありがとうございます!!」


これが結局、樋口さんと話したのは

最後になってしまった。



当時はまだまだ、自分の始めたバンド

THE HUSKYのサウンドは

固まっていなかったので、早く樋口さんに聴いて

もらえるレベルにまで上げて、ライブに見に来て

頂こうと思っていた矢先に

入院するという情報が入った・・・


病名を聞いて、愕然とした・・・


その当時、たまたま俺は「癌」に対して学ぶ

機会があり、知識が少しあっただけに

聞いた時は昨夜と同じくらいショックだった。


俺は毎月のように

樋口さんに励ましのメールをした。

ファンを代表する思いだった。


一度も返事はなかったけど

俺は樋口さんの性格を少しはわかっている

つもりだから来ないのはわかっていた。


ファンの思いが少しでも届けば

それだけで十分だと思っていた。




昨夜は

真矢さんから情報が入って

すぐヒマワリさんに連絡した。


俺と同じ反応だった・・・


言葉にならなかった・・・


その後もいろんなドラマーから

連絡が行き来した。


それくらい大きな存在がいなくなって

しまった事を実感した。




樋口さんからいただいたアドバイスや

言われたことは一生忘れない。



「レビンはずっとスティック回し続けなあかん!

ステージパフォーマンスは重要やから怠るな!」


これはちゃんと守ってます。



そして何よりも嬉しかった言葉は

樋口さんが誰かに俺の事を言ってるのを

聞き耳立てて聞こえた一番うれしかった言葉です。


「こいつは何がかっこええドラムかをわかってる奴や」


これが

一番!!

うれしかった!!


技術とかそんな誰でも手に入れれる事じゃなくて

センスを認めてくれた事が何より嬉しかった。


このセンスについて理解しあえる友人は

ヒマワリさんしかいないのだが

昨夜も二人で

ロックドラムわかってない奴多いから

樋口一派としてがんばろうな!

と言い合いました。


それが俺達の使命だと思う。




樋口さん


死ぬまで現役の

ヘヴィロックドラマーだったあなたは

死に様までロックスターでした!!


最高にクールです!!


永遠の憧れです!!


大好きでした!!


本当に本当に

ありがとうございました!!


心よりご冥福をお祈りいたします。



レビン