現実を見て、苦しむ。
執着する。
そんな時、
『今』のお相手を見ていますか?
もっと○○してほしい
もっと○○だったらいいのに
それって、
『今』のお相手のことを受け入れていないですよね?
これが、執着の原因かもしれません。
楽しい時間を過ごしてくれた
冷たい対応をされた
その一瞬一瞬のお相手の対応に、
一喜一憂、執着している。
楽しい時間を過ごしてくれたから、
いつも楽しいお相手を望むのですか?
冷たい対応をされたから、
いつも優しい対応を望むのですか?
いつも○○なお相手
を望む限り、執着は消えません。
楽しい時間を過ごしてくれたお相手
冷たい対応をしてきたお相手
全部ひっくるめて、そのお相手なんです。
好きな人でも、お子様でも当てはまると思います。
お相手そのもの、
つまり、ありのままのお相手を、見る。
そうすると、ただただ、
愛
だけが残りませんか?
過去や未来、お相手にこうなってほしい、
お相手がそうなってくれたら自分は幸せなのに...
というのが執着。
もっと言葉を強くするなら、
自分勝手です。
楽しんでいようが、
怒っていようが、
不機嫌だろうが、
笑っていようが、
ただただ、その人を見る。
存在のすべてを受け止める。
○○してほしい
○○になってほしい
それって、
『今』のそのお相手は自分にとって不都合だから、
お相手に自分の理想と化するように相手に変わることを求めていますよね。
それって、幻想のお相手ですよね。
『今ココ』に存在していないお相手ですよね。
そこに愛はありません。
そんなお相手など、存在していないのです。
存在していないお相手とは、
結ばれるわけがない。
この世界にいないんですから。
誰かに執着するということは、
存在しないお相手をずっと追いかけているということ。
ただの執着。わがまま。自己中。
愛って、
人を愛するって、
変わることを求めるのではない。
すでにある『今』のお相手を、
ただただ見ること。
今この瞬間のお相手のことを、
ただただ見る。
そこに『愛』があるんです。
愛も瞬間瞬間の連続。
だから執着として存在しません。
今まで、
人間関係でいかにお相手に望んでいたか。
そんなふうに考えると、
自分自身のことも、
瞬間瞬間『愛』を持って見つめることができませんか?



愛するということを、
ようやくわかり始めた気がします。
良い日曜日をお過ごしください![]()
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