劣等感が、自分の世界を『勝負の世界』にしていませんか? | ⭐︎意図的に大逆転LIFE⭐︎

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自分で自分を実験して、投稿するブログ。

みなさんは、『劣等感』ありますか?


あの人に負けた、、、

あの人にマウントを取られた、、、


あの人が間違っていることを証明してやろう。

あの人は酷い人だ。


そんなふうにジャッジしているとして、

例えその人が間違っていると証明できたとして、

事を変えて次々とそんな事が起きていませんか、、、?


ジャッジする癖って、劣等感から生まれていると思うんです。


あの人はああだ、、、。

この人はこうだ、、、。


そうやって自分の正当性を見せつける。

その裏には、


自分が負けたらかっこ悪い

自分は間違えてはいけない


というような『劣等感』がある気がします。


自分は絶対に正しいのだ


という『優越感』に溺れたいんだと思います。


果たして、自分は完璧なのでしょうか?


性別や年齢は、本当に関係ない。

歳上に尊敬できる人がいるとして、

歳下にも尊敬できる人がいる。


常にジャッジをしている人がいたら、


あぁ、劣等感が強いんだな

あぁ、自分を強く見せたいんだな


って、こちらが冷静になってみる。

戦いの武器を、こちらから下ろすんです。


まわりにジャッジする人はいますか?

もしかしたら、自分もジャッジする癖はありませんか?


それは、自分の中の『劣等感』から生まれている。

ジャッジという武器を持ち続ける限り、

戦いは終わりません。


武器を捨てたら、戦うことはできません。

戦いは終わりです。


それじゃあ攻撃されて終わりじゃないか?って?

そうかもしれません、、、。


ただ、もうこちらを攻撃してくることはないでしょう。

ジャッジという武器を持った人は、

また新たな敵を見つけて戦い続けるでしょう。


ジャッジという武器を手放した私たちは、

戦いの無限ループとさよならできるのです。


例えば本当に相手が間違っているとして、

自分が正しいことが証明されたとする。

それで、これから先の人生、すべて完璧に幸せだと自信を持って言えますか?


あの人が完璧じゃないように、

自分も完璧じゃないんです。


『ジャッジ』という『武器』、

手放しませんか??


できない自分を許せたら、

世界はもっと自分に優しくなるはずです。


ジャッジしている人を見たら、

劣等感が強いんだな

優越感に浸りたいんだな

って一歩引いてみる。

さらにその時、

あ、自分にもそういうとこあるな

って自分に気づく。

そうすると少しずつ自分を客観視できて、

気がついたら自分の中から、

『ジャッジ』という『武器』

がなくなっていくかもしれません。


気づいたら、『自分に優しい自分』に出会えているかもしれません。