「もし、私たちが神の命令を守るなら、それによって、私たちは神を知っていることがわかります。
 神を知っていると言いながら、その命令を守らない者は、偽り者であり、真理はその人のうちにありません。
 しかし、みことばを守っている者なら、その人のうちには、確かに神の愛が全うされているのです。それによって、私たちが神のうちにいることがわかります。」(1ヨハネ2:3-5)

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 ヨハネはここで、みことばを守ることを大切さを書き記している。
 みことばを守ることは大切だ。しかしここで問われるのは、何のためにみことばを守るのかということである。
 マタイ伝に金持ちのぼんの話が出てくる。「先生。永遠のいのちを得るためには、どんな良いことをしたらよいのでしょうか」。そして十戒を守りなさいと言うイエスに対して「そのようなことはみな、守っております。何がまだ欠けているのでしょうか。」と返す(マタイ19:16-22)。
 このぼんは、もっぱら永遠のいのちが欲しくてみことばを守っていると、あっけらかんと抜かしている。
 昔日教会にいた頃にも、みことば警察官じみた人がごく少数いて、こういう人にとってのみことばとはさばくための道具だったかもしれない。
 しかしイエスは言っている、「あなたがたは互いに愛し合いなさい」(ヨハネ13:34)。我をも忘れて人を愛するとき、その人はおそらく全ての律法にかなっている。
 だから何のためにみことばを守るかということは、頭で考えることというよりもその人そのものが問われることなのである。

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 イエス様の平安がありますように!


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