「わたしは彼らにあなたのみことばを与えました。しかし、世は彼らを憎みました。わたしがこの世のものでないように、彼らもこの世のものでないからです。
  彼らをこの世から取り去ってくださるようにというのではなく、悪い者から守ってくださるようにお願いします。
 わたしがこの世のものでないように、彼らもこの世のものではありません。
 真理によって彼らを聖め別ってください。あなたのみことばは真理です。
 あなたがわたしを世に遣わされたように、わたしも彼らを世に遣わしました。
 わたしは、彼らのため、わたし自身を聖め別ちます。彼ら自身も真理によって聖め別たれるためです。」(ヨハネ17:14-19)

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 ある誕生日の晩、夢を見た。
 それは死刑を宣告される夢だった。
 まだ暗いうちに目覚めたとき、空恐ろしかった。
 イエスの十字架にこじつけようとしても、この恐ろしい気持ちをごまかすのには役立たなかった。
 上の聖書箇所でイエスは弟子たちのために御父に祈りを捧げているが、受肉した神であるから、やはりこれからのゴルゴダへの道への空恐ろしさは少しはあったかもしれない。いや、少しどころではなかっただろう。
 そのさなかにあって、イエスは弟子たちのために祈りを捧げている。
 「真理によって彼らを聖め別ってください。あなたのみことばは真理です」、かつてなかったような苦しみの果てに与えられるみ言葉こそ、その人をイエスの十字架と同様死刑にするものであり、まさに世から取り分ける聖別なのである。

 さて、悪夢を見た日ののち、昼間うたた寝していると、今度はガラス戸をコンコンコンと3度叩く音が聞こえた。
 ああ復活のイエス様がノックしていると勝手に解釈して、今度は心安らいだ。
 十字架の死と復活は必ずセットなのだ。死刑の夢を見るなら復活の象徴がついてくる。
 ましてやみ言葉による聖別に預かったならば、イエスが約束するいのちあふれる復活がもたらされる。

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 イエス様の平安がありますように!


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