「しかし、そのようなことはみな、産みの苦しみの初めなのです。
 そのとき、人々は、あなたがたを苦しいめに会わせ、殺します。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての国の人々に憎まれます。
 また、そのときは、人々が大ぜいつまずき、互いに裏切り、憎み合います。
 また、にせ預言者が多く起こって、多くの人々を惑わします。
 不法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなります。
 しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。」(マタイ24:8-13)

---

 イエスの語る黙示はわかりやすい分、より恐ろしい。
 わかりやすいも何も、これは今のことなのではないかと自分は思う。
 本音が包み隠さず堂々とまかり通り、一方で、空々しいほどのきれい事がいくつも流布している。
 去年2021年の7月に有料になったレジ袋には、今やバーコードが印刷されている。「レジ袋いかがですか1枚5円です」とのポスターが店内に貼られている。
 導入当初よりこんなのは小売流通業の利益率向上のためとしか思っていなかった自分も、1年を経て建前をあっさりかなぐり捨てて本音むき出しになろうとはと思うところが大きい。
 他にも書きたいことは山ほどあるのだが、上の聖句に話を戻すと、イエスは「最後まで耐え忍ぶ」ことを言う。
 不法がはびこり愛がひからびるこの時代に抗うことは、到底できない。
 では生き残るためには、自分も不法を為し人を人とも思わずに接すればいいのだろうか。
 信仰を与えられた者にとってはその必要はない。御子イエスを介した御父とのつながりという確かなものがあるからで、この、もっとも丈夫で確かで必要なものが自分にはある。
 だから、この時代に抗ったり同じようにしたりすることなく、この御父とのつながりという軸を大切にすることこそ、イエスのいう「最後まで耐え忍ぶ」ことになると思う。
 もしも弱い肉が時代に抗ってしまうとこの軸から外れてしまうのであるが、御父がその人をお離しにはならないような気がする。
 なお、上に書いたレジ袋受難がイエスの語る黙示の内に入らないならその方がいいことは言うまでもない。

---

 健やかな一日をお祈りします!

にほんブログ村 哲学・思想ブログ プロテスタントへ
にほんブログ村