「もし彼らの捨てられることが世界の和解であるとしたら、彼らの受け入れられることは、死者の中から生き返ることでなくて何でしょう。」(ローマ11:15)

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 私は隠れキリシタンを自認しているのであるから隠れてはいない時期もあったわけで、私の隠れたことは世界の和解を表面的にもたらしたはずだ。
 さて、上の聖句には「彼らの受け入れられること」とあるが、ここに言う「彼ら」とはそのような私や私のような人々のことである。その「彼ら」であるところの私は、そうであったことによって正に「受け入れられ」たのだ。
 なぜそう言えるだろうか。「死者の中から生き返ること」によってである。
 イエスが言うとおり賑やかな広小路には十字架はない。ふと迷い込んでどこだか分からないような狭い路地にこそ見出されるのである。
 隠れキリシタンはなりたくてなれるものではないが、隠れざるを得なくなったらそれはむしろ幸いなことなのである。

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 健やかな一日をお祈りします!

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