山内が東京行きの新幹線のチケットを買っている、
まさにその背中を見ていて、
突然の思いつきだった。
僕はこのまままっすぐ帰らずに、
どこかに寄って行こうと頭に浮かべていて、
財布を胸のポケットに戻していた。
別にあてはなかった。
だけれでも、いっそのこと、
このまま旅にでも出てやろうくらい考えた。

時刻は17時を少し回ったくらい。
いつもなら、定時で帰らせる
課員の進捗なんかを確認している時間だ。
とりあえず、腹も空いてきていて、
新幹線口から繋がる飲食店街に向った。
味仙という名古屋発信らしい
台湾ラーメンの店がある。
以前食べたことがあって、
どうにも辛くて耐えられなかった。
しかし一緒に食べた同僚が、
卵を注文していて、少しはまるやかになると、
食後に言っていたのを思い出して、
いい機会だから、
今度は卵入りで食べることにした。

食べ終わると、
日の落ちた名古屋の街をぶらついた。
そういえば、山内は帰りがけに、
出張もなるべく控えるように
会社から連絡が来ていると言っていた。
僕はそれを知らなかったから、
少しだけ驚いた。
何か、目に見えぬ事態が
進んでいるとでもいうのだろうか。
しかし、街を眺めていても、
その変化はどうにも考えられなかった。
仕事帰りの会社員や、若者たちが、
歩道せましと溢れかえっている。
味仙だって相変わらずの人気店で、
入るのにちょっと並んだくらいだ。
マスクをしている人が心なしか多いだろうか、
いやそれにしたって、
毎年インフルエンザが流行っているわけだし、
そろそろ花粉症なんていう人もいるだろう。

「味仙食べたよ、ほら、こないだ話したじゃん、
辛いやつ、辛い台湾ラーメン」
街中をぶらついている途中で、
彩花から電話がある。
彼女から、何時頃帰ってくるのか聞かれて、
僕は今食べたばかりの
ラーメンについて話していた。
「そんなもんどうでもいいんだけど、」
「いやまあそうだけどさ、彩花も食べたがってたじゃない、
お土産みたいなのなかったけど、今度食べ行こうよ、
すっげえ辛いんだけど、卵入れたら結構行けたよ、
旨みだけ増した感じでさ」
「翔太!」
電話越しの声が大きくなった。
「私ね、そんなこと聞いてんじゃないでしょ、」
「ごめんごめん、なんだっけ?」
「何時頃帰ってくるのかって、
今日、日帰りって言ってたから、」
僕は人が多くて
歩きにくい歩道を縫うように歩きながら、
「ああ…、」
一度言葉を切った。そして、
「今日、泊まって行こうかと思って、
せっかく名古屋まで来たし、明日お休みだし」
太閤口から続く市街には、
ビジネスホテルが立ち並んでいる。
僕はそれらの看板を見上げた。
週末だけれど、
探せば今からでも泊まれるだろう。
「え~、なにそれ」
「なんか予定入ってた?」
「…」
電話は切れていた。
僕はスマホの少し割れた画面を覗き込んで、
1つ息を吐くと、そのままポッケにしまい込んだ。

 

プロジェクト670日目。

 

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人類は頂点でいられない。
必ず別の生命体が後から後から出現し、
人類に生命の危機を警告する。
そして、傲慢になった気分を上から叩きのめしてくる。
それは太古、生命が誕生してからの当然の秩序、
丸みしかない世界での整然とした不文律。
たかだか600万年前に森から出てきた人類が
進取の気鋭で替えられるものでもなさそうだ。
そういった意味で、これは美しい世界なのかもしれない。
そして僕らは何か変わったんだろうか、
確かに世の中は変わったけれど、
僕らは変化なく、かえって、
本能を呼び覚まされたくらいだ。