まず映画はこんなふうに始まる

アキレスと亀が競争する。スタートですでに二人は10mはなれたところからスタートだ



アキレスが秒速10mで亀が仮に秒速1mであってもアキレスは永遠亀に追いつけない

二人の間に距離が10m開いている地点からスタートしてアキレスが亀に追いつくまで1秒間

だがそれで完了しないのが、ミソでありこの考え方が出来れば『トモダチ』になって世界さえも牛耳ることが出来るはずで、それでもできないのはどこかでこの原理に違和感を抱いているからにほかならない


1秒で1秒前に亀のいた地点に辿り着いても亀はすでに1m先を走っているのだ

途方もなく遠方・・・

そしてその1m先にアキレスが達するまでに要する時間は0,1秒

だがそれで完了しないのが、ミソでありこの考え方が出来れば『ナカタ』になって世界をまたにかけて世界中の子供達とサッカーし笑っているはずだ、それでもできないのはどこかでこの原理に違和感を抱いているからにほかならない


0、1秒で0、1秒前に亀のいた地点に辿り着いても亀はすでに0、1m先を走っているのだ

途方もなく遠方・・・

その差の0,1mでさえ埋めるのにアキレスは0,01秒必要でその瞬間も亀は隙や妥協を一切見せない様で、着実に0,001m先を走っているのだ・・・

その0,001mを埋めるには0,01秒という途方もない歳月を費やし何度打ちのめされても立ち上がり根気強く挑戦する執念がアキレスには必要であるといえるのではないのか・・・

だがその0,01秒で亀は0,0001m先にいっている。その0,0001mを埋めるためにまたアキレスは打ちのめされと永遠打ちのめされなければならず

0の数さえあってるのか分からなくなるほどの苦行を強いられているのは走りつかれたアキレスだけでなく私も同じだ

それくらい亀は凄い

発想の転換で負けていることも勝っていることにするのはたやすい

そうだからこそツタヤデ平凡に働くことしか出来ない


そもそもそこまで根気強く執念強ければ始めから亀なんて追いかけてないんですよねアキレスは

そう思ってしまいます


でなんで北野武の映画なのにこんなふうなことになってしまったかというと早い話が

2時間の映画でちゃっかり2時間5分くらい寝てしまった

でも仮に開始10秒で俺がおきることに成功し、BOXセットを2セット(ザトウイチが入っていない全作ボックスセットを買った後にでたザトウイチつき全作ボックスセットをもう一度買ってだぶりが半端ない)もっている力量でオフィス北野のKマークが画面にぼんやり光った程度で話はまだはじまったばかりだと頭が察した瞬間も映画は

1秒進んでいるはずだ。

その1秒間を埋めるために1秒間に起きた出来事を整理している間に映画は0,1秒先に進んでたはずだ

その0,1秒のタイムロスを埋めるのに要する時間はおそらく0,01秒だが

その間にも物語りは0,01秒進んでおり2時間永遠地獄を味わわされる羽目になっていたのだと考えると恐ろしくなりむしろ映画の許容範囲の2時間以上睡眠してしまった器のでかさ、人徳、統率力、判断力、俊敏性などを吟味すると我ながら感心し一番北野作品を愛している俺なりの作品に対する愛が一杯だ

だが話はどんな映画なのか皆目検討もつかない





DVD買って二回目くらいのカクタスジャック

処刑人、ノッキンオンへブンズドア、鮫肌男と桃尻女、パルプフィクション、スナッチ

辺りのスタイリッシュアクション好きに剛速球をお見舞いできる傑作

バベル的ないくつかのストーリーが交差する映画の場合、交差する意味が必要になる

この使い方がカクタスジャックはイキデ、こっちの視線ではこうなってるが向こうの視線ではこうなった的なやりとり、はられた複線があとから生きてくる時の滑稽さ、絶妙すぎてなぜ表舞台に出てきてないのか未だに謎

一回死んで生まれ変わってもまた100点と評価するであろう良作

棺桶に入れます















ミュージカルと言えば『ダンサーインザダーク』でしょくらいしか知らないんですが薦められて見てみると、とてもエンターテインメント溢れる名作。

大きいテレビ買ってよかったなと思わせたのは北野ブルー以来でした。




話的には親身になればなるほど、共感も批判も出来ないようなどうしようもない女のはなしですが、

それによりそう男の妙に切ない後ずさり感が心を締め付ける

2ヶ月の練習でここまで踊り倒した二人に拍手!!



存在・・それがいったいなんだっていうんだ 僕は精一杯存在している

この台詞から何か映画に流れる息づかいを少し感じとれる

若くして亡くなったイアン・カーティスの短くも波乱の生涯を描いた衝撃作

知名度が上がれば上がるほど振れ幅がでかくなり必然的に摩擦もでかくなる

動くことには常にリスクが付きまとう

だが現状維持は退歩の証・・ひたすら前に進むしか道はない

例えそれが『死』だとしてもだ

どんだけ知名度が上がっても二人の女性を一気に愛せなかったりと

何事も比例していくわけではなく一般的な次元の話で加速しないものもある

そこが妙に連れの話を聞いているかのような感覚に陥らせる

ただ静かな描写、アーティスッティックな描写がそうさせるのではない

イアン・カーティスという人間がそうさせるのだ

ヒトラーやブッシュの自伝ではない

知名度はあれど身近な人間の伝記だ

監督はアントンコービン

最近はアニーリーボヴィッツに

ショーンエリス

と写真家の参入が目立ち際立って美しかったりする

フローズンタイムは傑作でDVD購入

CM撮ってるやつとかが映画撮るのと同じことか

カート描いたガスの『ラストデイズ』思い出して少しまた切ない気分になる




ローリングストーン誌 335号

80年12月8日 自宅でアニーが撮影した写真を最後にジョンは射殺された

この写真からはこの先の永遠が見えるが直後にそれは一瞬にされたことに憤りを感じる


『チャプター27』も見たが残念ながらどのようなことを伝えようとしている映画なのか自分にはよく分からず内容もあまり覚えていない


本編に話し戻るが、本作は娯楽要素というかひたすら芸術的で人生にもう一色自分になかったカラーをたされたような感覚に満ち溢れていた

アニーは撮影する時に、被写体の人生を通り過ぎる

人生を早回ししてその人物のこれから伝えたいことまでも語るような撮影だ

アニーは被写体の内面に入りその人物と共同作業で写真に望む

写真なんかの良し悪しなんて分からないしそんなの素人目線ではあってないようなもんだしそれがなんぼのもんやねんと思っているが『よい』

俺にレンズからも世界を見たいと思わせた逸品