前回、
タンザニアの北部、セレンゲティから
飛行機に飛び乗り
アフリカ東岸、ザンジバル島にやってきた!
と言うところで
話が終わってしまいましたが、
ちょっと分かりにくいので
地図でお伝えすると、
一気にザンジバル島まで
やって来ました。
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もし、ミスした旅行代理店のプラン通り
車で8時間かけてアルーシャという街に行き
そこに一泊して飛行機に乗っていたら
(詳しい話は前回をご覧ください)
ザンジバル到着は翌日の昼過ぎだったので
かなり時間を稼ぐことができました!
飛行機に乗る予定がなかったのに、
たまたま空港に立ち寄って、
たまたま飛行機に空席が出ていて、
たまたま離陸直前で、
たまたま乗れて、
幾つもの”たまたま”が重なって
ほんとラッキーでした!
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ザンジバル島は
サンゴ礁の石灰岩からなる島で
故にビーチは白い砂。
海の透明度は高く
青い海×白い砂、という
楽園のような風景が広がります。
しかし!
この島を有名にしているのは
リゾートとしての側面だけではありません!
それはむしろ最近のことで
もともとこの島は
奴隷貿易など
海上貿易の拠点として
アラブとヨーロッパ文化が融合し栄えた場所。
●楽園リゾート
●奴隷貿易
と、大きく二つの側面を持つ
ザンジバル。
奴隷貿易の遺跡は
世界遺産となっている
《ストーン・タウン》という
旧市街にあり
そこには、
この島の歴史遺産の殆どが詰まっている
と言っても過言ではありません。
ザンジバルの滞在は
到着した日を入れて4日間。
と言うわけで、
島に到着したこの日は、
《ストーン・タウン》を巡り、
残りの3日間は
楽園リゾートでゆっくりすることに。
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ザンジバルはそもそも
この島で一つの国家でした。
国家と言っても、
アフリカ人の国家ではありません。
この地はその立地の良さから
8世紀から
アラブ商人のインド洋貿易の拠点となり、
15世紀にはポルトガルが占領。
その後19世紀に
オマーンがポルトガルを追い出し
この地を首都に。
ザンジバル王国を建設するも、
同19世紀後半にイギリスの植民地に。
第二次大戦後の1963年に
ザンジバルとして独立を果たしながら
(イギリス連邦の一員として)
翌年クーデターが起きて
1万人以上が死亡。
国家は崩壊し、
以来タンザニア(当時タンガニーカ)と
合併してタンザニア共和国となり
現在に至っています。
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アラブ商人→ポルトガル→
オマーン→イギリス
と、さまざまな勢力によって
支配されてきたザンジバル。
その首都は常に
《ストーン・タウン》で、
故にこの街はアラブとヨーロッパの
雰囲気がミックスしてる、
はずですが、
個人的にこの街を歩いて
感じたのは、
中東っぽいな、ということ。
かなりごちゃごちゃしていて
街中はまるで迷路のようです。
現地の雰囲気を満喫するには
やっぱり市場!
と言うわけで
やって参りました「市営マーケット」。
まず入口の前にずらーーーっと
出ているよく分からないけど
靴を売ってる店。
(店?と言っていいのか?)
あれ、この靴屋、よく見ると、、、
どうゆうこと?
ペアを探して買うのか、
片足だけで買うのか、
両足バラバラの靴を買うのか、
謎すぎる、、、
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こちらは、
よく見てみると、
謎すぎます、、、
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謎のお店を後にして
(無数にあった)
市営マーケットの中に入ってみます。
マーケットの建物の裏には
スパイスマーケットと野菜果物市場が。
奥さん、交渉しまくって
かなり値切って買ってました。
さすが、、、
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ところで
《ストーン・タウン》は
奴隷貿易で栄えた街。
街は奴隷商人たちが築いたと言っても
過言ではありません。
そして、このストーン・タウンの
目玉とも言うべき建物が
かつて奴隷市場があった場所に
建てられている大聖堂。
と、ここまで
また長くなってしまったので
続きの奴隷市場の話は
また次回に書きます!(>_<)!
では今回はこの辺で!!