天気:晴れ
昨日の続きです。
いざ約800年前の
パリ城壁跡歩きへ!
※フィリップ・オーギュストの城壁
昨日のブログでも掲載しましたが、
どこを歩くか分かりやすいように
城壁エリアを示したパリの地図を
再度掲載します。
ちなみに、もちろん今のパリは
城壁に囲まれていません!
では早速、街歩き開始!
さて、フィリップ・オーギュストの城壁は、
まず右岸から作られたので、
右岸からスタートしたいと思います。
※画像:les chronologies de maurice griceより拝借
これを今の地図と
照合させると、、
↓
ではまずスタート地点へ。
セーヌ川は上の地図でいうと
左が川下。
そして、敵は決まって川を
さかのぼってやってきていたので、
首都パリ(シテ島)を守るには
何よりもシテ島の西(地図では左側)を
守ることが大切です。
そんな理由で、シテ島の西には
シテ島を守るための要塞がありました。
それが今のルーヴル美術館です。
当時はルーヴル要塞と言われていました。
ただし、これには二つ前置きがあります。
①ルーヴル要塞はもともと
5世紀後半にフランク人が、
当時ローマ軍が支配していた
シテ島を攻め落とすために建てた砦。
(その後フランク族が勝利し、パリを奪い、
フランク王国の首都となる)
※画像:les chronologies de maurice griceより拝借
※もともとパリはガリア人が住んでおり、ローマに占領され、その後フランク族に占領され、1700年代後半にフランス革命で王政が終結するまでフランク族の支配は続きました
②そして、そのパリを攻めるための砦が、
今度は敵からパリを守るための要塞と
なったわけです。
※その後ルーヴルは、要塞→牢獄となり
1370年ごろに王が住む宮殿に。
フランス革命後に、宮殿を美術館として
利用することになり、今に至る
すいません、前置きが長くなりました。。
では、気を取り直して
ルーヴルからスタートします!
ルーヴルは今でこそ
パリ随一の巨大な建造物ですが、
現在のクール・カレ部分のみ。
増築されていきました。
※画像:mariebarreno.wordpress.comより拝借
と、またまた前置きが
長くなりましたが、
街歩き、始めます!!
まずはルーヴルへ。
正面には、
とすると、この入口右側のところに
隅櫓(トール・ド・コワン)が
建っていたのでしょうか。
中へ入ると、
城壁跡を辿ります。
こちらは今回の城壁巡りの途中で
見つけた、城壁マップ。
このマップをもとに
歩いていきます!
まず、ルーヴルを出ると、
分かりやすく、地図と
照らし合わせて歩きます。
まず①のところ、
ここには現在、
『オラトワール デュ ルーヴル教会』が
建っています。
どうやら壁を壊した上に
建てた教会とのこと。
フランスはカトリックが基本なので
プロテスタント教会は珍しい!
ちょっと珍しいので中へ!
というか、
教会の中で、まさかの蚤の市!
いやー、面白い!
と、こちらの教会の方に
フィリップ・オーギュストの壁の跡は
ありますか? と聞いたところ、
地下にあるけど、
非公開だし、小さいからたいしたことないよ、
ということで、
教会を後にしました。
続きはまた明日にします>_<!
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