若い子だけではなかった話 と おばちゃんだけではなかった話   ~みんな同じように見えちゃう~ | 今日の恵み  維摩会 春秋館の恵み

今日の恵み  維摩会 春秋館の恵み

         ~今・ここへ~

                     

 

 

若い子だけではなかった話 と おばちゃんだけではなかった話 祭~みんな同じように見えちゃう~祭

 

 

クーラーを強くして、冷たいお茶を人数分用意してくださいね。

 

神社の夏祭りで神輿(みこし)を担ぐ人たちの練習が、そろそろ終わりそうです。

梅雨の中休みにしては、朝からまぶしい太陽が照りつけて、

気温はぐんぐん上がり、加えて湿度も高く、

熱中症が心配な一日です。

外で神輿を担いでいた男の人たちに、涼しいところで休んでもらうためです。

 

巫女さんが、何人いるのでしょうか? と尋ねてきました。

お聞きしていなかった私は、

多めに準備しておいて、社務所の入り口で人数を数えましょう、と答えました。

 

熱気とともに、神輿の担ぎ手たちが戻ってきました。

ひとり、ふたり・・・と数えている合間に、

また外に出ていく人が数人、続きます。

 

入ってきた人を数えているだけでは、ひとりを2回数えてしまいます。

ひとりひとりを確認しようと思ってみていたのですが、

どうも、みんな同じように見えてしまうことに気が付きました。

全員が、タンクトップかTシャツに短パンで、短い髪の毛、時々茶髪がいるくらい、

ガッチリしているか、筋肉質でやせた感じか、は違うけれど・・・、

雰囲気が皆同じなのです。

そうかぁ、と思いました。

区別がつかないのは、今どきの若い子だけではなく、

中年くらいのおじさんも、区別がつかないんだ、と、

おばちゃんどころかおばあちゃんになってしまったような自分を、情けなく思ったのでした。

 

**********

 

巫女さんたちは、社務所のカウンター越しにおじさんたちを見ていました。

お茶を運ぶのは、若い巫女さんにお願いするのです。

すると、巫女さんたちは、

なんだかみんな同じようだね、と話し始めたのです。

 

えっ、と、驚くやら安心するやら、です。

同じように見えてしまうのは、私のようなおばちゃん(おばあちゃん?)だけではなく、

巫女さんのような若い子も同じだったのです。

 

**********

 

区別がつかないと言っても、

今どきの若い子と、神輿の担ぎ手のおじさんたちとは、間違えようがありません。

たぶん、同じ領域にいる人は、

同じような雰囲気を持ち、服装も同じようになり、

それで、ひとりひとりの区別がつきづらくなるのかもしれません。

 

多様化の時代と言われながら、

ひとりひとりの個性はなかなか発揮されていません。

その様な時代はこれから、なのでしょうか。

維摩会 春秋館で時々お聞きする若者たちの中には、

自分の才能を発揮して、生き生きとしている人たちもたくさんいます。

きっと、そのような若い人たちは、

私でも、ひとりひとりの区別がつくのではないかしら、と思うのでした。