ようやく、心の平安というものがどんなものか、体感を伴ってわかるようになってきた。
幸福になるには意志が必要であるという。
これは真理だと思う。
だが、こう思うためには必要な段階が幾つも有る。
その段階をすっ飛ばしていきなり幸福論を説いたところで、誰も幸せにはなれない。
世に出回っている啓発本は、豊かな人の目線で書かれている。
だが、豊かな人は自分が手にしているものの特別さをとかく忘れがちである。
お金とか、人間関係とか、体力とか。
そうした余裕のない人にこうしたら幸せになれますよ、ということを上から目線で説いたところで、それは結局のところ根性論のようなものに過ぎないのではないかと私は思う。
幸せになるには条件が要る。
啓発本を読む人は大概において真面目なので、幸せになれない自分はダメだ、と負の循環に陥ってしまう。
そんな構造を考えると、啓発本は毒を含んでいる。
毒という刺激に耐えられるだけの条件を整えられた人だけが、幸福までたどり着けるのであり、幸福になれたからといって、その人の人間性が優れているとは限らない。
私は、啓発本をたくさん読んでも幸せにはなれないと思う。
目の前の自分の人生に対して、自分に誠実にいかに向き合えるか。
その努力を3年、5年、10年と続けることができるかどうか。
苦しみから転じて幸福になるためには、どうしても時間がいる。
それはどうやっても悩みから逃れることは不可能である。
だが、幸せになるにはそのくらいの時間が必要であると考える。
振り返った時に、必ずこの時期があってよかった、と幸福になれる人は思うだろう。
その過程で考えるきっかけとして周りの人の言葉をいかに聞くかである。
人の話を聞く方が、10冊の啓発本を読むよりよっぽど幸福になるための近道だと思っている。
つまり、人の話を聞くということが、大切な幸福の段階だと私は言いたい。
誰でもが幸せな人生を送れるとは私は言わない。
私のように幸せになれることは非常にありがたいことだと心から思っている。
けれど、苦しい思いをしてきたという事実は間違いないことなので、半径1mの人を少しだけ笑顔にしたいとは思うのである。