「ぶどう園」の1日は終わって、そこにいた人々のそれぞれの人生の1日が完結した。
この1日の人々の思いが、世界を歴史を創り出していく。

「夜明けから働いた労働者」もこの1日を終え、彼の抱いた「心」がこの先に残されていく。
「ぶどう園の主人」「夜明けから働いた労働者」「後から来た労働者」、
そのすべての人にとって「ぶどう園」は、彼らが生きたあの1日においては「彼らが生きた世界」であったわけだ。

私たちの「心」は、世界を創造するために存在している。
彼らが「ぶどう園」でのあの1日で抱いた「心」が、「ぶどう園」という「世界」を形作っていくことになるのだ。

「夜明けから働いた労働者」は、「ぶどう園」での労働に対してひどく不満を抱いた。
彼の「心」は、「ぶどう園」という「世界」をどう創造していくだろうか。
彼は翌日も「ぶどう園」で働こうとするだろうか。
お金のためにどうしても「ぶどう園」で働かなければならないとしても、心から喜んで働くだろうか。
彼の「心」は、「ぶどう園」を「すばらしい喜びにあふれた世界」ととらえていない。

彼がもうあの「ぶどう園」で働かなくなったとしたら、「ぶどう園」が豊かになることなど願わないだろう。
あんな不愉快な「ぶどう園」はつぶれてしまえばよいと思うだろし、
「ぶどう園」に関わっている人々が幸せになることを望むことはできないだろう。
あるいは、「ぶどう園」などどうなってもよいと、投げやりな気持ちになっているかもしれない。


「後から来た労働者」はどうなっただろうか。
あの1日は彼らにとってラッキーな1日だった。わずかな時間の労働で1日分の給料を得られたからだ。
翌日、彼らはどうするだろうか。
前日と同じ幸運を期待して、夕方に市場に行って、また「ぶどう園の主人」に雇ってもらおうとする者もいるだろう。
彼らの中には、もっと遅い時間に行っても、あの「ぶどう園の主人」なら雇ってくれるだろうと考える者もいるかもしれない。
それならより短い労働時間で同じ報酬がもらえるのだから、彼らはできるだけ遅い時間に市場に行こうとするだろう。
あるいは、あまり遅く市場に行ったら今日は仕事をもらえないかもしれないと考えて、早くに行く者もいるかもしれない。
そして早い時間から働いたのに、前日と同じ1デナリしかもらえなかった時、前日の「夜明けから働いた労働者」と同じ不満を抱くかもしれない。

どのように彼らが振舞おうと、彼らが「ぶどう園」で働いた1日1日の「心」が、「ぶどう園」という「世界」を作り出していくのだ。


みなさんは、気付いただろうか。

「労働者」の誰の「心」も、「ぶどう園」という彼らが生きる「世界」を、自ら創り出そうとしていないことに。


「私」という「心」がなぜ生まれてきたのか。「私」とは何のか。

「人間の心」は「自立した自由な心」であり、「人間の心」には「真の創造力」が与えられている。
それは「この世界」を、私たちが私たちの自由意志で、私たちの「心」が真に望む姿に創造していく力である。

それは、「この世界」の創造と完成を、人間は神から託されているということだ。

あなたは、「この世界」に生まれて、この世界で数十年の人生の時間を生きていく。
もうその時間のどれだけを消化してしまったかは、人それぞれだ。
その過ぎ去ってしまったあなたの人生の時間は、「ぶどう園」での労働時間である。

あなたは、これまでの人生の時間で、「この世界」でのなにかしらの「成功」を求めて生きてきたはずだ。
「成功」とは、あなたが「成功」と思うことだ。あなたの「心」が求めてきたことだ。
他人がそれを「成功」と思わなくても、それが社会的に非難されるようなことであったとしても、
あなたの「心」がそれを求めてしまうからには、それがあなたにとっての「成功」であると思って生きてきたのだ。

「ぶどう園」で1日働いた結果として彼らが求めた「成功」は、「他人よりも多い報酬」だったり、「労働時間以上の報酬」だったり、人それぞれであるし、同じ人間でも求めているものが、労働の前と労働の後で変わってしまったりしている。
「夜明けから働いた労働者」にとっての「成功」は、労働前には「1日の労働で1デナリという妥当な報酬」だったはずなのに、労働後には「後から来た労働者よりも多い報酬」となってしまったのだ。

「ぶどう園」という「世界」が存在していて、自分たちがその「世界」に放り込まれて、そこで労働時間を過ごして、
その「世界」から自分が「成功」と思える報酬をいただこう、そういう風に人生の時間を消化しているのだ。

労働者の誰においても、「ぶどう園」を「真にすばらしい理想の世界」に創造していこうという「心」が発動されていない。

私たちが生まれる前からすでに「この世界」は存在していて、私たちは「この世界」に生み出されて、人生という時間を過ごして、私たちはすでにある「この世界」で自分が「成功」と思えるものを追求し続けているのだ。

しかし、「人間の心」は「この世界」から報酬を得るためにあるのではない。

報酬と言うのなら、あなたが「この世界」に生み出された時点で、すでにそれだけで十分な報酬は得ているのだ。

「人間の心」の本来の存在意義は、「この世界」から何かを得るのではなく、あなたの「自立した自由な心」が「真の創造力」を発揮して、「この世界」に働きかけ「真にすばらしい理想の世界」を創造していくことにある。

そのために私たちに「心」があり、私たちはそれぞれが「自分という個別の心」を持って「この世界」に生まれてきたのである。
「この世界」を、神が望む「美しく愛と喜びに満ちた世界」に創造してくれることだろうと信じて、創造の神はあなたたち一人一人に、「あなた」という「個の心」を生み出したのである。

それが、「あなた」なのです。


そして、「あなたの心」がこのように存在していることが、「本当の絶対的な答」である。