いよいよ、「ぶどう園」の話の核心をお話しましょう。

まずこの事件の発端は、「ぶどう園の主人」が全員に1デナリを与えたところにあります。
前回にも話したように、「夜明けから働いた労働者」の立場に立ってみると、もし「後から来た労働者」がいなくて、
彼らだけが働いて、仕事が終わって1デナリを受け取ったのなら、この事件は起きていません。

事件と言いましたが、彼らの心の中の「葛藤」が生まれなかったということです。

これは、「ぶどう園の主人」の行為によって「葛藤」が生じたということです。
この行為を「ぶどう園の主人」が意図的にやったとしたら、あえて「葛藤」を引き出したということになります。

「ぶどう園」が、この世界、この宇宙を表しているとしたら、その「主人」はこの世界の「主人」ということになります。
この「手紙」では、その存在を「真理」の「心霊」と呼んでいます。

私たち人間の世界は、個人から国家・世界のレベルまで、争いごとにあふれています。
そして人間は悩み、苦しみの中に生きています。

その根源には人間の心の中に、自分の身に起きた事象に対して、
自分は納得できない受け入れられないという「心の葛藤」があるのです。

しかし、私たちの心に問題があるとしたら、その問題を引き出し解決するために、
その問題のある心を引っ張り出さなければなりません。

私たちの人生に起こるあらゆる事象が、その目的のためにあえて意図的に自分の上に降り注いでいるのです。
「真理」の「心霊」が、あなたをそのような場面に導き、あなたの心に「葛藤」を生み出させているのです。

それが分かったら、私たちの責任は、その「葛藤」にどう立ち向かっていくかになるのです。
この「葛藤」を治めて「愛」の勝利圏を築いていく、これが私たちの「心」が持つ「本来の創造力」であり、
この「心の創造力」によって「愛の世界」を作り上げていくことに、私たちの人生の「本当の目的」があるのです。

私たちの「本来の心」には、そういう「力」があるのです。

それを使わないまま、人生の目的が分からないまま、人々は人生を終えてしまっていたのです。


「ぶどう園」という世界の中であれば、その世界に生きた人間が「答」を創り出さなければなりません。

非常に微妙な点なのですが、「答」を出すとか導き出すではありません。
「答」がまだできていないから、この世界は矛盾していて不可解なままなのです。

「答」を出そうとか探そうとしてきたのが、人類の歴史のほとんどなのです。
例えばその答の一つが、共産主義だったり民主主義だったりで、これらは探してみた答だから不完全なんです。

「答」は人間が創り出すようになっていて、そこにこの「世界」の「創造目的」があり、「存在目的」があり、
「存在理由」があるのです。

私たち人間の「存在理由」も、私たちが生まれてきた意味も、「私の心」が存在しなければならない理由も、
私たちの「人生の目的」も、すべてここにあるのです。

「世界」は、私たち「人間の心」が創造しなければならないものなのです。


確かに、私たち人間が生まれてくる前から「世界」は存在しています。
しかしこの「世界」がどのような「世界」になるか、この「世界」を完成させる最後のピースを持っているのは、
「人間の心」なのです。
「本来の世界」を完成させるという使命を持って、私たち人間は「心」を持って生まれてきたのです。
あなたの「心」が存在している理由はここにあるし、あなたが生まれてきた理由もここにあります。
あなたの「人生の目的」も、「生きている意味」も、「人生で一番にすべきこと」も、ここにあるのです。


この「手紙」は、はっきり「答」をみなさんに提示すると約束してきました。

ここに「答」は明確に示しましたが、あなたの「心」が、この「答」の意味を深く理解できるかが問題となります。

そのために、「ぶどう園」の例え話と「村の車」の話を準備してきたのです。


この後、「ぶどう園」の話と「村の車」の話をリンクさせて解説していきます。

重要な人物は2人です。

「ぶどう園」の方では、「夜明けから働いた労働者」と「最後に来た労働者」、
「村の車」の話では、最初から最も中心となって働いた「マーズ」と、最後に仲間になった9人の中から「ウラヌス」が
「最後に来た労働者」の立場になります。

私たちは両方の立場にも立って、どちらの立場でも勝利圏を創り出さなければなりません。
「私の心」が創り出した「心の勝利圏」が、「ぶどう園」も「村」も、そして「現実のこの世界」も、
「本来の世界」に変えていきます。

そしてあなたの「心」は、自分が生まれてきた意味、自分が存在する意味を知って、自分の「心」の持つ「本来の創造力」を
発揮して、「本当の人生の目的」を達成していきますから、そこで人生の不可解さや不安から解放されるでしょう。