いよいよこれまで語ってきた内容をすべて1つに統括して、「真理」の核心を明らかにすべき段階に来ました。
このことは、みなさんの一人一人の「心」が受けとめられなければ意味がありません。
そうなることを目指して、ここまで長く書き綴ってきたのです。

前回の「勝利の種」の内容で、私たちは自分の「心」の問題と立ち向かって、私たちの「心」が自分らしく、
本来の自分の「心」となるために、今までの自分の人生に起きてきたすべての事があったのだということを
お話ししました。

だからあなたにとって、辛かったこと、苦しかったこと、悲しかったこと、そのようなあなたの人生のマイナスな
出来事も、その人生の最大の目的である、あなたの「心」の完成のために必要不可欠であったということなのです。

あなたを悩ました人生の辛い出来事こそが、あなたにあなたの真実な「心」を取り戻させるのに、
あえてあなたの人生に起きてきた出来事だったのです。

人間は、「神」がいて「神」が「愛」であるのなら、なぜ人類の不幸な歴史が続いていて、私たちの人生に
悲しみや苦しみが多いのかということをずっと疑問に思い続けてきました。
しかし人生に降りかかる辛い出来事には、人間の「本来の心」の回復と「本来の世界」の実現という目的が
あったという事実は、人類を悩ましてきたこの疑問に対するゆるぎない「答」なのです。

このような人間を悩ます苦しみを、宗教では「神の試練」ととらえてきました。
しかし、この説明には明確なその意味の解明がなされてこなかったため、人々はただ忍耐をするしかなかったのです。

この段階では、本来の心ではない悪の心を切り崩すための戦いをしているにすぎません。

しかし今は次の段階、すなわち「本来の心」を取り戻し、その「心」の本来の「創造力」を発揮すべき時に来ているのです。

そこでこれまで取り上げてきた、「ぶどう園」の話の「夜明けから働いた労働者」と、「村の車」の話から「マーズ」を
取り上げて、ここで私たち「人間の心」に何が起こってきたのかを、すべて明らかにしていきます。

これが明らかになったら、あなたの人生の苦しみは「神の試練」としてただ耐え忍ぶだけのものから、
そのあなたの人生の苦しい局面が、あなたがこの世界を美しく正しく善なるものへと創造する真の価値あるものへと、
完全に変わっていきます。

そこにこそ、本来私たちが人生で追い求めている「喜び」「幸福」が存在しているのです。
そしてその先には、「本来の世界」が広がっていくのです。


では、まず「ぶどう園」の話から考えてみましょう。
この話を最初に紹介した時に、もし「後から来た労働者」がいなければ、「夜明けから働いた労働者」は約束の給料を
もらって、喜んで家路についたはずだとお話ししました。

だから、「後から来た労働者」が自分と同じ給料をもらったという事態が、「夜明けから働いた労働者」の心に、
葛藤を生み出したわけです。
そしてその葛藤がエスカレートしていけば、相手に対する憎しみとなり、さらに争いとなるのです。
これが個人のレベルから、社会や民族や国へとレベルが上がっていくことで、国家間の戦争へとつながってしまうのです。


でもこの葛藤が起きなくて、「夜明けから働いた労働者」が喜んで帰ることができたなら、彼の心の問題は解決されず、
解決されないままであるなら、本来の「心の創造性」は取り戻せないのです。
そして、本来の「心の創造性」を取り戻してそれを発揮できるようにならない限り、
私たちは生きているようで死んだまま、肉体は生きているが心は死んでいるのです。

さて「村の車」の話の方ですが、「マーズ」の心の中に、「夜明けから働いた労働者」と同じ葛藤が生まれてきます。

「マーズ」自身が、その自分の心とどう向きあい、どういう解決の道を見出すかが核心です。

でも「マーズ」だけでは解決できません。

「ぶどう園」の話でも、問題が起きたのには「後から来た労働者」がいたからであり、「ぶどう園の主人」がいたからで
あったはずです。
ということは解決の道にも、それらの人たちが関係しなければなりません。


「マーズ」の場合、重要な存在となるのが「ムーン」とその他の仲間たちです。


「マーズ」は、「夜明けから働いた労働者」と同じ立場に立つことになります。
彼は、「村の車」の修理という仕事を最初からやったのであり、その仕事で最も苦労した功労者であるのです。
その彼の仕事に対する評価が、彼の所属するグループの中で最高でなかったとしたら、彼の心には葛藤が生じるでしょう。

「マーズ」だけでなくこのグループの全員のために、葛藤が生じることが必要なのです。
「マーズ」に問題解決の使命があるからこそ、「マーズ」の心に葛藤が生じるのです。


「夜明けから働いた労働者」も同じです。
彼には「ぶどう園」を本来の世界にする使命があって、その解決の鍵を握っていたのが彼の心の葛藤だったのです。
彼がこれに正しく立ち向かうことができていたら、「勝利の種」を蒔くことなったのです。

ただし繰り返しになりますが、「ぶどう園」を本来の世界に変えるのは、「夜明けから働いた労働者」だけの力ではできません。
ここに関わる、「ぶどう園の主人」も「後から来た労働者」も全員を巻き込んで解決しなければならないのです。

その世界に関わっている全ての人の心が、「本当の心」に変わらないと真の解決にはならないということです。


「地上に平和をもたらすために、わたしがきたと思うな。
 平和ではなく、つるぎを投げ込むためにきたのである。
  わたしがきたのは、人をその父と、娘をその母と、嫁をそのしゅうとめと仲たがいさせるためである。 」
(マタイによる福音書 第10章 34-35節)