人間は、誰一人例外なく、人生にピリオドを打つ時を迎えます。
そして今、この1分1秒も、すべての人間はその最期に向かっているのです。
私たちが生きているということは、「死」に近づいていると同義になります。

この「手紙」の最初の序章で、「死」が間近な人たちのために急いでこの「手紙」を
書かなければならないとお伝えしていました。
それからずいぶん時間が経ってしまいました。

この長い間に、いろいろなことを書いてきました。
全部、「真理」を理解するのに必要なことなのですが、多くの情報があふれるとポイントが
見えにくくなるでしょう。

ここで、「真理の核心」を押さえて、その上で今まで語ってきた内容をその「核心」の周りに
肉付けしていくのが良いと思いました。

一番大切なことは、みなさん一人一人の命であって、一人一人の人生です。

「人生の意味」という章でお話ししたように、私たちは自分が生まれてきて、
自分という「心」を持つようになり、さらに今自分が生きていて、その自分の「心」でこの世界を
認識しているから、この世界は意味を持っているのです。

問題なのは、そのすべての中心となっている「自分」とは何か、「自分の心」は何か、
それ自体を自分自身が分かっていないということです。
だからどんな形でこの世界や自分の存在を意味付けしようとしても、
根本のところで確信の持てる「絶対的な答」にはなりません。

ここに人生に対する奥深い不安が、誰の心にも存在しているのです。

そして「死」を恐れるのも、この「絶対的な答」を知らないからです。
「自分」と「自分の心」の存在の意味が分かっていないということは、
私たちの「心」は、意味不明なままこの世界を認識し、ただこの世界に生きているんだと感じているだけになります。

そうなると「自分の死」というのは、自分の「心」が死んでなくなるのだから、
自分が認識している世界のすべてが終了することと同じことになると感じられてしまうのです。

世界から自分が消える恐怖ではなくて、自分がなくなることで世界も何もなくなってしまうと感じる
恐怖なのです。

その絶対的喪失に対する恐れが、人間の「死」に対する恐れなのです。

厳しい話をしなければなりませんが、今「死」と直面されている人が恐れを感じているとしたら、
その恐れは、「自分」と「自分の心」の存在意味を知ろうとしないまま生きてきたからです。
ここから目をそらしていては、その恐れから解放されることは絶対にありません。

本当の人生に立ち返るのに遅いということはありません。
いつでも、どんな状況からでも十分に間に合うのです。
なぜなら、これは「心」の問題だからです。
「心霊」というのは、「時空」の制約を超えて飛躍が可能だからです。

必要なことは、あなたの「自立した自由な心」が、自分の人生を「真実な人生」としていこうと心から求める、
ただそれだけです。

では、まずその前提からお話しましょう。

その「真実な人生の基準」にあなたが立ち返るための最初の一歩が、
あなたのこれまでの人生であなたにおきたすべてのことは、
あなたの「心」が、「真実なあなたの心」になるために全部必要であった、
そのことを知ることです。

あなたの性格、家庭環境、能力、個性、出会った人々、巻きこまれた出来事、成功もやってしまった失敗も、
人に傷つけられたことも人を傷つけたことも、喜んだこと、悔やんだこと、後になって後悔したこと、
どうにもならなかったこと、肉体的な障害や精神的な弱点、災害や事故など被ってきたこと、
思いがけない幸運、奇跡的な偶然の出来事、巻き込まれてしまった災難、利益や不利益、
あなたの人生であったこと、おこったこと、他人からされたこと、あなたの心の中に生まれたもの、
あなたの人生のすべてが、あなたがあなたの「心」を真実なものにするためにあったことなのです。

このことを知らないまま生きてきたのがほとんどの人間の一生であり、
そのような認識をしないで、自分に降りかかってきたことに対して自分中心の感情を抱き、
その自分中心の感情のまま生きた無数の人間の人生の積み重ねが結晶化していったもの、
それが、今私たちの目の前にある人間の世界であり社会なのです。


あの「夜明けから働いた労働者」には、「自分は不利益を被ったのではないか」と感じられる出来事が
おこったのです。
これも、彼の「心」が「真実な彼の本当の心」になるためにおきた出来事なのです。

逆に言えば、彼の「心」が「本当の心」になって、彼が「本当の人生」を生きられるようになるには、
あの出来事が必要だったということです。

厳しいことを言いますが、彼がぶどう園の主人に不満を言ったのは当然ではないかと感じた人は、
あなたも同じような場面に出会わないと、あなたの「心」は本物にはならないでしょう。

おそらくあなたは、あなたが「夜明けから働いた労働者」になったら、同じように不公平だと憤るでしょうが、
あなたが「夕方に来た労働者」であったとしたら、自分は得をしたと喜ぶでしょう。

自分がどちらの立場に立ったかという結果で、あなたの心は異なってくるのです。
あなたの心は結果に支配されていて、決して本来の「自立した自由な心」ではないのです。

ここでは本来の心の持つ「真の創造力」は、何一つ発揮されていないのです。
これが、「あなたは生きているようで、実は死んでいる」ということなのです。

このことに気付かない限り、あなたは人生の最後まで本当に生きることなく、肉体の死を迎えることになるのです。


ここが、「真理の核心」です。

私たちの「心」は、結果に支配されるものではありません。
結果を創造していくものです。

結果とは、この世界です。

私たちは結果的存在でありながら、創造力を付与された存在なのです。
私たちの「心」が、この世界を創造しているのです。

世界とは、目に見えている有形の実体の世界だけではないのです。
人間の「心」が存在している、無形の実体世界もあるのです。

そして、無形の実体世界の方が主体であって、この世界を形作っているのです。
だから、人間の社会も人類の歴史も、人の「心」が作り出したものなのです。

ここを、真実なものに方向転換させなければなりません。


それでは私たち一人一人は、自分の人生にどう向き合ったらよいのでしょう。

私たちにとって重要な場面は、自分にとって不都合だと感じられることが起きた時です。
つまり、あなたが「夜明けから働いた労働者」になってしまう場面です。


そういう自分にとって不都合な場面を、今度は「心」の準備をして待ち構えるんですね。
そういうことがおきたら、「しめた」「チャンスだ」って受けとめるようにするのです。

人生はそんな簡単なことばかりではないですね。
どうにもならないことが、たくさんあります。

それは、どうにもならないことが必要なくらい、人間の「心」に解決すべき深い問題があるということです。

しかし、悲観してはいけないのです。

なぜなら、今お話してきたように、それらは全て、私の「心」で解決されるべき出来事だからです。

あなたが一つの問題に正しく立ち向かってくれて、それに勝利したとするならば、その「勝利の種」は、
人類の心霊の中に埋め込まれていくのです。

この一人一人の「勝利の種」こそが、世界を変えていきます。


だから、あなたの残りの人生を、本当に価値があり永遠に残っていくものに注いでいきなさい。

自分がなくなることが、何もなくなってしまうことになるという絶対的喪失におびえる思いから、
おなたの「心」が持っている「真の創造力」を発揮することに、「心」を傾けましょう。

それは、あなたの「心」が永遠に存在していく「勝利の種」を生み出していくことになります。

そして、自分が永遠の存在の根源であるという感覚をあなたは獲得していき、
あなたの「心」には自信と希望が溢れてくるようになります。


それが本来、生きているということです。

私たちは生きているようで、実は死んでいたのです。

自分におきている出来事を受け止めていくことは、
今までの生き方から見たら、死んでいるようにみえるかもしれないが、
それは死んでいるようで、実は本当に生きていることなのです。