私は、鍛冶屋の「ヴィーナス」。

「ムーン」と「マーズ」と私の3人で、「サンじいさんの車」を修理してから3か月が経ちました。

「サンじいさんの車」の異変に関しては、最初は大騒ぎになっていたけれど、
時間が経つにつれて村の日常に溶け込んで、今では誰も問題にすることはなくなっています。

当初は「サンじいさんの車」の変化を説明できない長老たちは、自分たちの権威を脅かす出来事として、
大きな危機感を持っていました。
しかし、人々は長老たちの権威などにはたいして関心がなく、ただ「サンじいさんの車」の変化を喜んでいたので、
一転して長老たちはそれを認めることで、自分たちの寛大さを自慢する材料にしていったのです。

この状況は、私たちにとっては好都合でした。
私たちには進むべき道があって、まだその最初の一歩を踏み出したにすぎません。

古代イスラエルの民がエジプトで奴隷生活をしていたそうです。
そのイスラエルの民の中からモーゼという指導者が出てきて、彼の導きでイスラエルの民はエジプトを脱出しました。
でも逃げたことに気付かれて、何度も後方からエジプト軍の追撃を受けたそうです。

私たちも「新しい世界」を目指しているということは、「古い世界」を脱出しようとしていることになります。
今はまだ、私たちが「出エジプト」をしたことを悟られて追撃されるようなことにならない方が良いのです。


私たちが次に着手すべきことは、残り9台の車を「サンじいさんの車」のように修理することでした。

でも私たちが集まっている本当の目的は、車の修理ではありません。

「村」を「本来のあるべき世界」に変えていくことが、私たちの使命であり、私たちの存在の目的なのです。

だから私たちにとって一番大切なことは、「本来のあるべき世界」とはどういうものなのか、
そしてそれはどうやったら実現できるのか、その道を見出していくことにあったのです。

この問題を最も追求してきたのは、「マーズ」でした。
私はずっと「マーズ」が私たちの中心になって、私たちを導いていくのだろうと思っていました。

でも「マーズ」の考えはそうではありませんでした。

「サンじいさんの手紙」を最初に見つけたのは「ムーン」であり、「ムーン」はおそらく「サンじいさん」の子孫で、
「ムーン」こそ「サンじいさん」の残した使命を引き継ぐ人物だと、「マーズ」は考えていたようです。


次の私たちの課題は残り9台の車の修理なので、「マーズ」はその段取りを考えていました。

今度は1台ずつやっていくわけにはいきません。
日数をかけてやったとしたら、必ずその途中で怪しまれ長老たちが動きだすでしょう。
そうなった場合、9台すべてをコンプリートする前に、横槍を入れられてしまうかもしれません。

9台すべての修理を、1晩で完了しなければならないだろうと考えていました。

そのためには、私たち3人では足りません。
協力してくれる人を探さなければならないということになりました。

そして、「マーズ」が最初に連れてきたのが、「アース」という体の大きな青年でした。

私たちの村は小さな村なので、同世代の若者であれば、話をしたことはなくても、
お互いに顔は知っています。
「ムーン」と「マーズ」と私だって、最初はそんな関係でした。

「アース」は人当たりの良い優しい雰囲気の青年で、仲間もたくさんいました。
そういうところは「マーズ」と正反対の性格で、「マーズ」は群れることは好まず、本を読んだりして、
一人でいることが多い人でした。

でも、「アース」だけはそんな「マーズ」のところに近づいていって、二人でいるところをよく見かけたものでした。
たくさん遊び仲間がいた「アース」が、なぜグループを離れて「マーズ」のところへ行くことが多かったのか、
それはこの後、「アース」に話してもらいましょう。

人と交わることをあまり好まなかった「マーズ」が、「アース」とだけはよく話をしていたし、
今回もまず最初に「アース」を連れてきたということは、「マーズ」にとっても「アース」は大切な存在だったことは
確かだと思います。

ちなみに私の正直な印象をお話ししておくと、「アース」が私たちのところに来た時、
私はすぐに「この人は私たちの仲間だわ」と感じました。


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僕の名前は「アース」、大地という意味だ。
仕事は大工をやっている。


僕にはたくさんの友達がいるが、自分の中で一番の友達と思っているのが、「マーズ」だ。
僕は幼い頃から友人たちとふざけたり遊んだりすることが多く、それはそれで楽しい時間ではあった。
でも、そんな楽しい時間の中にいた時であっても、どこか心が満足しない思いがあった。

幼なじみの「マーズ」は僕たちとは正反対で、いつも一人で本を読んだり考え事をしているような少年だった。
僕には「マーズ」が僕たちよりずっと大人びているように見えたし、僕が知らない大切なものを知っているように思えた。

僕は一人でいる「マーズ」のところへ、いつも自然に近づいていった。
「マーズ」も僕が来ることを嫌だとは思わなかったようだ。

そして僕にとって、「マーズ」と二人で過ごす時間が、一番僕の心に満足感を与えてくれる時間であった。

二人でいる時の会話は、僕の方から「マーズ」にいろいろ聞くことがほとんどだったと思う。
「マーズ」が何を考えているのかを、僕は知りたくてしかたなかったのだ。

そして「マーズ」の話はとても本質的なことばかりで、他の友人たちとの話題とは雲泥の差があった。
僕の心が、「マーズ」との会話を求めていたのだと思います。

そんな「マーズ」から、仲間にならないかと声をかけられた。
当然僕は、即答で「YES」だった。

それから「マーズ」は、「サンじいさんの車」の話をしてくれた。
僕は驚かなかった。もしかしたら「マーズ」の行為ではないかという思いが、僕の心の中にあったのかもしれない。
新しい世界を切り開こうという考えを持つような人物は、僕の知っている村人の中には、「マーズ」以外には
いなかったからだ。

一方で、なぜ車なんだろうという疑問も湧いてきた。
「マーズ」はもっと深い問題、人間のあり方とか社会のあり方、そして人間の心の問題に強く関心をもっていたことを、
僕はよく知っていたからだ。

僕の疑問をすぐに察知した「マーズ」は、明解に問題の本質を説明してくれた。
僕は幼い頃のように「マーズ」の話を聞くことができてうれしかった。

でもそれ以上に、「マーズ」の話が本当に世界を変えることに直結していることに、僕はカミナリに打たれたような
衝撃を受け、感動に包まれてしまったのです。

さて、この物語の読者のみなさん。
みなさんはまだ、このお話が単なる空想の物語ととらえているだけでしょう。
それも、固定概念です。
私たちは固定概念でしか、ほとんどのことを受け止められないような「心」になっているのです。

村では、「車はまっすぐ走るものだ」と考えられ、その考えが受け継がれ、人々の心の中に定着していました。
そして「車」のことを考える時は、その固定概念が常に基準となってきたのです。


これが、「世界」や「人間社会」や「人間という存在」や「私という存在」や、そして「人間の心」についても、
すべてこの世界の存在に関して、人間に与えられた創造力が、「これはこういうものである」という固定概念を
作り出したきてしまったのです。

その固定概念が、「村の車に対する考え」と同じように、受け継がれ人々の心の中に定着し、
それによって私たちが今見ている、すべての世界の存在がそのようにあるのです。

あなたの固定概念というフィルターを通して、あなたが見ている世界が存在しているのです。


これを変えないといけない。


「村の車」の問題は、この世界と人間の存在の問題のサンプルケースであるということなのです。


だから「車」の問題は、私たちが目指す山の頂上への道の第1歩であって、
目指す山頂とはすべてが変わった「真実の世界」であると、「マーズ」は話してくれました。


そして僕は、「マーズ」たちと共に歩んでいこうと決意したのです。