前回からの続きです。

 

遠藤周作さんの、

女の一生 二部・サチ子の場合

を紹介しています。

 

そこに登場する、

アウシュビッツ強制収容所における、

コルベ神父と、ヘンリックという若者に、

焦点を当てて解説しています。

 

コルベ神父の死後も、

ヘンリックは、エゴイズムをむき出しにして、

生き延びようとしますが、

時折、コルベ神父の顔が目に浮かぶようになります。

 

以下、引用です。

 

(俺はあんたじゃない。

俺は神父じゃない。普通の平凡な男だ。

俺にはあんたのように、誰かの身代わりになって、

飢餓室で死ぬことなど、とてもできない)

 

あんたは強いさ、だが俺は弱い、弱い男だ。

放っといてくれ、

と、ヘンリックはコルベ神父の面影にむかって叫んだ。

 

何ヵ月がたった。

ヘンリックは生きのびていた。

エゴイズムと生存の智慧とを使い分けて、

彼は衰弱死していく仲間の中で生き残っていた。

ちょうど秋にあらかたの虫が息たえても、

まだ動いている生命力のある虫のように・・・。

 

(俺はどんなことがあってもここでは死なん)

 

彼は毎日、自分にそう言いきかせた。

言いきかせることで

自分の力を燃やそうとしていた。

 

そんな頃、

彼と寝台を共にしている男が目立って衰えてきた。

顔に白い粉のようなものが吹き出て、

皮膚がカサカサになり、

腹だけが奇妙にふくらんでくる。

栄養失調で死ぬ一歩手前であることは、

もうヘンリックたちにわかっていた。

 

(あの男に、君のパンをやってくれないか)

 

この時、突然、

彼の耳に思いがけぬひとつの声がきこえた。

ひくい囁くようなその声は聞きおぼえがあった。

コルベ神父の声だった。

 

(あの男は死ぬかもしれん。君のパンをやってくれないか)

 

ヘンリックは首を振った。

今日あてがわれたたった一つのパンを他人にやれば、

倒れるのは自分だった。

 

(俺はいやだ)

 

(あの男は死ぬかもしれぬ。

だから死ぬ前にあの男が

せめて愛を知って死んでほしいのだ)

 

哀願するようなコルベ神父の声。

ヘンリックはその時、八月の夕暮、

身代わりになるために列外にのろのろと進み出た

神父の猫背を思い出した。

 

ヘンリックはパンをその男にやった。

 

男は眼にいっぱい泪をためて

「ああ、信じられない」とつぶやいた。

 

ヘンリックができた愛の行為はこれだけだった。

それでもヘンリックは愛を行った。

(引用終わり)

 

読むと、いつも魂を揺さぶられる場面です。

 

コルベ神父の影響(神のはたらき、復活、転生)で、

私たちと同じような「弱き」男が、

ちょっぴり「強く」なれたんですね。

 

遠藤周作さんの小説には、

こういった神(大いなる存在)が語りかける場面が、

いくつか出てきます。

 

以下、

わたしが・棄てた・女

からの引用です。

 

風がミツの眼にゴミを入れる。

風がミツの心を吹き抜ける。

それはミツでない別の声を運んでくる。

赤坊の泣声。駄々をこねる男の子。

それを叱る母の声。

吉岡さんと行った渋谷の旅館、湿った毛布、

坂道をだるそうに登る女、雨。

それらの人間の人生を悲しそうにじっと眺めている

一つのくたびれた顔がミツに囁くのだ。

 

(ねえ。引きかえしてくれないか・・・

お前が持っているそのお金が、

あの子と母親とを助けるんだよ。)

 

引用終わり

 

神(大いなる存在)の声というか、

人間に本来備わっている「良心」(神性・仏性)

が呼び覚まされるのだと思います。

 

ちなみに、

私は、街頭で募金活動をしているところに出くわすと、

実際、素通りしてしまうことが多いのですが、

「何か」を感じ、後から引き返すことがあります。

(常にではありませんが)

 

そして、少額の寄付をして、

気の利いた会話をすることもなく、

足早に立ち去ります(^^;

 

遠藤周作さんの本を読んだ影響もあって、

無意識に内なる声が聞こえることがあるのかな

とも思います。

 

他にも、

沈黙では、主が語りかける有名な、

(踏むがいい・・・)

 

女の一生 一部・キクの場合では、

聖母が、

(いいえ。あなたは少しもよごれていません・・・)

 

と語りかける、

心揺さぶる場面があります。

 

これらは、

カウンセラーの受容的、共感的な姿勢にも、

通ずるところがあるなあ、と感じます。

クライアントに寄り添う同伴者として・・・

 

これは、改めて別の機会で解説したいと思います(^^;

 

遠藤周作さんの本は、

今回、再読してみて、内容的にとても深く、

「心の学び」にも、大いにつながると感じました。

 

まだ読んだことのない方は、

おすすめしますし、

若いころ読んだことのある方にも、

再読をおすすめします。

 

人生を重ねたあとだと、

また違ったものが見えてくるかもしれません。

 

今回もお読みくださいまして、

有り難うございました(^^;