震災語り部@陸前高田市 | セーラの風便り

震災語り部@陸前高田市

「今の被災地の様子を見たい」と大分から高校生が
お母様と訪ねてきました。当時中学生だった彼女は
震災直後、大船渡によく通っていました。震災後の現状を
自分の目で見て、英語弁論大会で伝えたい、というのです。

それなら、と『震災ガイド』を申し込み、雨の日曜日
待ち合わせ場所の陸前高田市へ車を走らせました。

到着して、まずは言葉を失いました・・・
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”道の駅”での待ち合わせ、
海産物や地元で作られたものなどを買って帰って来ようと
浅はかにも考えていたら、想像とは裏腹に
ここは震災後の姿。そのまま残しているそうです。

一気に蘇った3年4ヶ月前の光景・・・

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災害ガイド・新沼さんと落合い、車に同行してもらっての
市内巡りです。
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まずは、道の駅の向かいにある慰霊碑に手を合わせ、
車を進めました。

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陸前高田は、私たちが大船渡に通っていた頃、
よく帰り道に通り、津波で流された家々や建物のがれきや車で
街が埋め尽くされていたのを覚えています。

その後、更地となり今は・・・
3キロにも及ぶベルトコンベアーが町を覆い尽くし、
横殴りの雨に、土砂を運ぶダンプがひっきりなしに通る。
あまりにも無機質なこの光景に、とても切ない気持ちになりました。

『高田松原津波復興祈念公園』として国土交通省が進めている
復興事業です。

人々の気配すらないこの辺り、未だ仮設住宅に住む人々は、
高台の方に移転しているそうです。

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遠くに見えるのは、『奇跡の一本松』
7万本の松の木が津波によってなぎ倒され、唯一残った
この松の木を崇め、人々はまるで英雄化でもするように
しているけれど・・・

一億5千万円かけて修復されたこの一本松に対する
地元の人々の声は厳しいそうです。

未だ2000世帯が先の見えない仮設住宅暮らし、
自分たちの暮らしをなんとかしてほしい・・・と。

時速100キロの津波に飲み込まれた陸前高田の町、
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ここが駅への道、アーケードの跡が道路に
見えました。何もない・・・

かつては、海水浴に訪れる客で夏には賑わっていた駅もない。
駅のロータリーが、悲しく残っていました。

「これが、震災前の駅前通り。」
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と見せてもらった写真、
町の数カ所に車を停めて、震災後にそこで非難した人々の
こと、命を落としてしまった人のこと・・・をガイドさんが
話してくれました。

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こちらの建物は、個人の所有で
この形のまま残しています。上部の青い部分には、
「津波がここまで来ました」と書かれています。
3階建てのビルの屋上まで・・・

「国の予算でどんどん立派な建物が建ち、町が整備されたと
しても、果たしてそれが地元の人にとってのしあわせかどうか・・・」

物は満ち足りて来た、
むしろ支援に甘えて自立しようとしない人達もいる、
ということや、今被災地の人達が求めているのは住む場所、
仮設住宅を出て、安心して住める自分たちの家、なそうです。

ガイドの新沼さんから、こうした生の声を聴くことができ
テレビや新聞からは伝わってこない、今の被災地の空気
みたいなものを感じてきました。

難しいな~ どうしたらいいのだろう・・・

知らなかった~ことばかり・・・帰って来て何だか落ち込みました。

全国の皆様、是非岩手へお越し下さい。
地元の皆様も機会を見つけて、沿岸地区にお出かけ下さい。

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