10月(アレ?去年だ…時間経つの早…)にアメトークで、
「食べ過ぎちゃう芸人」というのをやってました。
わたしは、小さい頃からの胃腸の弱さと経済力のなさで、間食もほとんどしないし、食べ過ぎることができません。
休みの日は、放っておくと、プチ断食をしてしまうほどです。
(プチ断食=作るのも外に出るのも面倒で、ひたすら布団にこもって飢えをしのぐ。
やりすぎると体温が落ちてきて、命の危機を感じる。
体温が落ちるところまでいくと、頭がぼおっとして体も力が入らないので、そこから動いて食事を摂るのは大変)
食べ過ぎちゃう人を見るたびに小さい頃から思っていたことがあります。
―食べ物を「モノ」として見てるな…
食べることで、「自分を満たすモノ」
味わうことで「快楽をくれるモノ」
パッケージングされ、お金を出して「自分の力で得たモノ」
親に何の苦労もなく「与えられたモノ」
として食べ物を見てしまうからこそ、食べ過ぎてしまうのではないか。
「食べ物は、自分を動かす物」
「食べ物は、生き物」
「命を食べている」
「何人もの手をえて食卓に届く」
こんな、小学生の道徳の文言みたいな内容が心の中に少しでもあれば、そんなに食べ過ぎないのではないか。
「飢え」を知ってるから、食べることをありがたいと思う。
「体調で食欲がない」ことがあるから、食べれることがうれしい。
「料理ができない」から、買ったお弁当でもおいしい。
とまいすけはマジで思っております。
でも、お金もあって、
残すの普通で、
ダイエットばかりしてる人に
「貧乏になって飢えてみろ」なんて不可能じゃないですか。
だから、おすすめは、野菜を育てること。
人気の漫画「銀の匙」のような農業・酪農体験は都市部の人間はなかなかできないけど、ベランダ菜園は最適です。
ネギと小松菜は、スーパーで買ってきたものを根っこと新芽だけにして土にぶっさすだけで、育ちます。
冬とか虫つかなくて、いい感じに育つんですよ。
貧乏きっかけで、ネギを育て、成長する姿を見て、
心で「生き物を食べているんだ」
と感じたとき、まいすけはちょっと泣きそうになりました。
「命を捧げてもらってる」という小説や漫画で出てきそうなフレーズだけど、
これを本当に感じました。
昔の人は、これを日常的に感じていたんだろうなぁ。
で、アメトークを見ながら、小杉のひっどい食生活を見て、
「お菓子やめて、ごはん食べようよ!」とツッコミながら、
ふと、やめられないものって私にとって何だろう…
漫画とゲームかなあ…
と思った途端、記号が一致してしまったのです。
つい食べちゃう
―つい読んじゃう
辞めるタイミングが分からない
―気づいたら時間泥棒
無くてもとりあえずお菓子を探してしまう
―本屋(本棚)を見ると入ってしまう
しょっぱいものと甘いものを交互に食べるのは黄金律
―シリアスを読んだ後、癒し系読んだら永遠読める
(立ち読み3時間、漫画喫茶9時間は余裕)
小杉のセリフが、どんどんなじんでくる…
あれ…?
おかしいな…?
やめるなんて無理じゃね…?
みんな、ごめん。
食べ過ぎちゃう人ごめん。
なんか、そんなつもりなかったけどバカにしてたかも…
人の欲望の果てしなさを感じたのでした。
追記
アメトークの食べちゃう芸人
よっぽど衝撃だったらしく、
10月に1度記事にしてました。
内容が統合しにくかったので、
このまま両方残すことにしました。
どんだけこの回に影響受けてんだ私…
(2016年7月に発覚)