私は、マスター同期の桃が好きだ。
好きというより、桃の中に一番しんどかったときの私がいて、桃が笑うとそのときの自分が笑う。
桃を引っ張りまわして、ああ、なんだ、こんな世界もあったんだ、と言わせたいと常々思ってしまう。
きっかけは、マスター中、直接電話したときだった。
「私には、生きることを選ぶしかなかった」
と桃が言った。
私も同じだった。
桃とは状況も向き合った内容も違う。
同じと言ってしまうのは失礼なのかもしれない。
でも、その言葉は、かつての…今もときどき私の中に燃えている想いだ。
私の過去を聞いて、平和に生きてきた人達は「強いね」と言う。
それしか言葉をつなげることができないのも知ってる。
でも、私は、ずっと選ぶか死ぬかしかない人生だった。
いつも「死」が隣にあった。
選ぶ自由があって、しんどいことを選ぶなら「強い」のだと思う。
どんなに苦しくても、乗り越えることができたなら「強い」のだと思う。
挫折ばっかり、進むこともできず、後戻りもできず、ただただ、眺めることしかできない。
それを「強い」と言われると、泣きそうになる。
あなたなら、どうしますか?
死ぬんですか?
とりあえず、口に食べ物を押し込み、体を動かし、時間が過ぎるのを待つだけしかできない。
生きてる感覚もなく、ただ息をして目の前のことをこなすしかできない。
それを「強い」とあなたは言うんですか?
あなたのように温かい家族に囲まれ、
困れば手を差し伸べてくれる存在はいないんです。
私には、私を利用しようとする親しかいないんです。
自分で処理しなかったら、死ぬしかないんです。
あなたは、彼氏でも作ればいいと言う。
温かい家庭を知らない私は、温かい寝床をどうしても作れないんです。
今は、選ぶしかなかった人生も、ビビりの私には必要だったと思うし、なぜ、乗り越えることができなかったのか、温かい寝床を作れなかったのか、それもわかってきた。
しんどい思いをした引き換えに、いろんな人がいろんな人生を教えてくれた。
しんどさは、共感を呼ぶ。
カウンセラーを目指す前に、おまえになら、言ってもいい。と、心の一番奥を開いてくれた人がたくさんいた。
だからこんな気持ちになることもなかったんだけど、ここ数日の疲れか、久しぶりに湧いてきたので文章にしてみた。
私が何を選ぶしかなかったのかは、また後日。