父を想う。。
今回の帰国の目的は、
お店の1周年記念と、父の23回忌。
父が亡くなった時、私は永住権を申請中で
アメリカ国外から出ることが難しく、出たとしても
あと何年かかるかわからない申請を1歳になったばっかりの
娘を抱えて日本で待機しなければいけないという選択しかなく
その後、諸事情で一度も法事には出席できず。。。
1984年私がアメリカへ立つ日の朝、
父は何も語らず、新聞を読んだふり。。
それが最後の姿になってしまった訳ですが。
私の父は石屋の2代目。今兄が3代目。
星一徹のように、ちゃぶ台がひっくり返って、ガラスが割れるのは日常茶飯事
ラッキーなことに、一番仲が良い仲間が近所でガラス屋だったので、
翌日は窓ガラスもすっかり元どうり。。需要と供給のバランスが抜群
それはさておき
思えば、父のことをあまり知らない。
戦争に関しては、
フィリピンの戦場でトラックを運転をしていたということ。
他の兵士と笑っている写真。
それぐらいだったのに、戦場で受けた心の傷は
いつまでも引きずっていたと最近聞かされた話。。。
いまでこそ、カウンセラーの活躍があるけれど。
私は、黙々と夜中まで石を彫り続ける父の姿の中に、
お酒を飲んで荒れる父の心の奥に、
遊園地や、ピクニックの写真の笑顔の奥に、
そんな思いを抱えたいたとは思いもしない。
本堂に静かに響くお径を聞きながら
思いを巡らせ。。。。。。。。。。。。。。
お店の1周年記念と、父の23回忌。
父が亡くなった時、私は永住権を申請中で
アメリカ国外から出ることが難しく、出たとしても
あと何年かかるかわからない申請を1歳になったばっかりの
娘を抱えて日本で待機しなければいけないという選択しかなく
その後、諸事情で一度も法事には出席できず。。。
1984年私がアメリカへ立つ日の朝、
父は何も語らず、新聞を読んだふり。。
それが最後の姿になってしまった訳ですが。
私の父は石屋の2代目。今兄が3代目。
星一徹のように、ちゃぶ台がひっくり返って、ガラスが割れるのは日常茶飯事
ラッキーなことに、一番仲が良い仲間が近所でガラス屋だったので、
翌日は窓ガラスもすっかり元どうり。。需要と供給のバランスが抜群
それはさておき
思えば、父のことをあまり知らない。
戦争に関しては、
フィリピンの戦場でトラックを運転をしていたということ。
他の兵士と笑っている写真。
それぐらいだったのに、戦場で受けた心の傷は
いつまでも引きずっていたと最近聞かされた話。。。
いまでこそ、カウンセラーの活躍があるけれど。
私は、黙々と夜中まで石を彫り続ける父の姿の中に、
お酒を飲んで荒れる父の心の奥に、
遊園地や、ピクニックの写真の笑顔の奥に、
そんな思いを抱えたいたとは思いもしない。
本堂に静かに響くお径を聞きながら
思いを巡らせ。。。。。。。。。。。。。。