世の大半の人々は、流されて生きているかもしれない。
例えば、
有名中高一貫を出て、有名大学、そして有名企業へ。
中学、高校で天才と呼ばれた子供たちも、大学では「普通の人」になるケースが多い。
大手企業の新卒採用で500名の新卒の代表を務めたやる気満々だった、あの学生も「大手という魔物」の中では、「普通の人」になってしまった。。
あの熱かった思いは冷め、ほんとに普通のサラリーマンに見事に変身した。
私はこういう例をいくらでも知っている。
大手というのは、やる気に溢れた秀才を『普通の人』に変えてしまうことが多い。(もちろん、すべてそうではないでしょうけども。)
簡単に言うと、大規模会社からすると一人の個人を「あなたも普通の人でよいのだよ。」とこうなるわけです。
もともと、地球と人間というのは原始時代がそうであったように、社会という枠は特になかった。もちろん、当時(といっても数億年前の話ですが)は、有名企業も大手企業も、ベンチャーも、中小もない。
でも、そういう社会では争いが起きたり、誰かが反乱を起こしたりすることになるから、「枠」が必要になり、「秩序」が必要となる。
だって、たかだか400年前には関が原の戦いを、徳川家康と石田三成が戦っていたわけですからね。そもそも、社会なんてものは最近できたものです。
すなわち、社会とは人間のために、人間が作り出した「枠」みたいなものです。
もちろん、すばらしい「枠」もあるでしょうが、エゴの入った「枠」もあるでしょう。
その枠から、最近の『利権』が生まれたりしてくるわけですからね。
この枠は確かに、リアルですが、人間が作り出したという意味ではある種バーチャルでもあるでしょう。
リアルっぽいバーチャルとでも呼びましょうか。
今日の話はかなり壮大なスケールをちょいとブログで書くようなものですから、
伝わりにくいかもしれません。
私の真意は。
このリアルっぽいバーチャル!?である現在の社会において、有名が良いとか、大手だけが良いとか、儲かるとか、他のみんながそう言っているからとかで動くのではなく。。
自分の中の良心、信念、強烈な想い、価値観を大切にしながら懸命に生きている姿の方が素敵だし、自然なように思う。
枠のルールはルールで大切にしながらも、決して枠にはまろうとしない生き方。
逆を生きるとでも言うのでしょうか。
このように信念を持った人、強烈なポリシーを持った人、決して揺るがない人。
このような人がもつ 雰囲気やオーラを 実は 『色気』 というのかもしれない。
~今日のヒトコト~
色気とは、いつの世もポリシーである。