去年8月15日に私が書いたブログ『終戦』。今年林智宏は一体、何を書こうとしているのか。 |  レッツアイ社長 “探検家” Blog.

 レッツアイ社長 “探検家” Blog.

☆99%の準備だけの人で人生を終えるか。
1%の探検家となり、あえて困難で険しい道を選び、探求を楽しむか?
選択は君次第だ。

今年も、終戦記念日が近づいてきました。66年前ですか。日本が第二次世界大戦を終えたのは。

今年の終戦。8月15日に、ハヤシトモヒロは一体、何を書こうとしているのか。

日本人の忘れ物は何か? 日本人のプライドとは何か?

決して目をそらさず 過去から見えてくるものを 己の目で見る。

ご先祖を敬い 大切なものを守っていく。

決して忘れてはならないものもあるであろう。

それが 終戦後に生まれた われわれ日本人の務めである。 

by ハヤシトモヒロ


----------------------------------------------------------------------------

昨年の『終戦』はこちらから。






まずは、昭和9年の京都のカラー映像をご覧下さい。自然、女性、どちらも美しい。日本がこの映像には移っています。この10年後に第二次世界大戦が終了するのですね。

私が去年、鹿児島県の知覧へお参りの一人旅をしてから早一年が経とうとしています。そうです。このブログの読者の皆様は、私の昨年のブログ『知覧からの手紙』をお読みいただいたことかと思います。光陰矢の如し。月日が経つのは本当に早いもので、今日はもう八月十五日。八月十五日と言えば、六十五年前、日本が大東亜戦争に敗れ、終戦を告げた日です。

私は1週間程前から、この八月十五日にブログで必ず、「終戦」を語ると言ってきました。当然ですが、これだけの出来事、歴史をたった一回のブログで話できるなどとは思っていませんし、私の意見や価値観がすべてただしいとも思っていません。

しかし、私は本気で書きます。参考文献も三十冊以上読みました。youtubeで動画もほとんど確認しました。実際に知覧へも行きました。実際に旧軍人諸氏様ともお会いしました。

そんな林が序章だけ書かせていただきます。分かりやすく動画も多用させていただきます。

日本の戦争とは一体何だったのか?

この六十五年で日本はどうなってしまったのか?

我々日本人はどこへ向かおうとしているのか?

日本の美しさとは何か?

すぐに答えがでるようなものではなく、一人一人が健全なる歴史観をもち、バランスよく世界的解釈をしていかないと、正しく見ることはできません。

ほんの少しですが、お付き合いいただけますか。

終戦

六十五年前の八月十五日、正午。あの有名な天皇の声自らによる、『玉音放送』がラジオで全国民に流されたのです。ちなみに、玉音とは、天皇の肉声という意味で、当時は「龍顔(りゅうがん)」を拝するものだけが、聞くことを許されたといわれるほど、天皇の肉声がマイクに入るということを嫌う傾向があったのです。大部分の国民がラジオの前に集合。はじめて天皇の声を聞きました。しかし、その「重大放送」が』終戦の宣告であると事前に予測していた人はほぼ誰もいなかったと言われています。

「堪えがたきを堪え・・」の部分があまりに有名ですが、実際は結構長い文になっています。

「朕(ちん)」は天皇の一人称で、「私」と言う意味。
「汝臣民(なんじしんみん)」は「そなた国民よ」という親しみをこめられた呼びかけですね。
「帝国」はご存知のとおり、「大日本帝国」をさします。

この玉音放送、最初に結論を言っています。
ポツダム宣言を受諾した旨を告げており、この放送をはっきりと聞こえた当時の方は、この瞬間に日本が戦争に敗戦したことを認識したといいいます。

ぜひ、当時の裕仁天皇の玉音放送を最後まで聴いて見て下さい。


昭和天皇の心中は、終戦時に詠まれた三種の御製に言い尽くされています。

 爆撃に たふれゆく民の 上をおもひ いくさとめけり 身はいかならむとも

 身はいかに なるともいくさ とどめけり ただたふれゆく 民をおもひて

 国がらを ただ守らんと いばら道 すすみゆくとも いくさとめけり


玉音放送が流れてからも尚、日本の軍部の一部には、日本の370万の兵力からしても「いざ決戦」を訴えるものも多かったと言われています。

国民は戦争が終わったという安堵と今後の生活やアメリカへの不安で入り混じった心理状態であった中、天皇のメッセージは国民を一体化させる効力を持っていたのではないでしょうか。それが証拠に、当時の国民は皆ラジオを前にして涙を流しています。悲しさ、悔しさ、はがゆさ、安堵、不安などあらゆる感情が入り混じった涙だったと察します。

しかし、私が本当に悔しいのは日本がポツダム宣言を受諾(8/14)する前の半年以内の間に多くの日本兵や民間人が命を落としてしまったという現実。広島原子爆弾が8/6、長崎が8/9。そして、沖縄戦が実質1945年の3月末~、特攻兵の皆様も非常事態作戦としてこの期間に多くの方々が飛び立っていかれたことを考えるとやはり、もう少し早い段階で降伏するという手も結果論ではありますが、なかったものかと残念でならないのです。

<日本を守るため、知覧から飛び立っていかれる特攻兵の皆様>


<俺はきみのためにこそ、死ににいく>


<硫黄島の戦。栗林中将>
レッツアイ社長 『 Stay Dream 』 Blog♪♪


アメリカの原子爆弾に関しては、明らかに不特定多数の一般人を巻き込んだ作戦であり、これは明らかに戦争法に違反していると私は思います。日本のマスコミ諸氏も、「靖国参拝するのですか?」とバカげた質問ばかり日本の政治家にしてるんじゃなくて、アメリカにでも「これは戦争法違反ですよね?」と聞いてみたらどうでしょうか。これをしっかり聞けるマスコミはいるでしょうか?でもこれは絶対に聞けないし、聞かないでしょう。なぜか?戦争では、戦勝国が偉いからです。。残念ながら戦勝国が偉いとされるのです。悔しいですけども。ただ、先の原爆は戦争法違反であり、あれは戦争ではなく不特定多数の日本国民に対してのテロリズムだと思います。

戦勝国が敗戦国を裁く裁判、それが東京裁判。むろん、平等性というもの関して研究する余地がありますが、頭のいい皆様ならお察しがつくかと思います。この裁判が平等であったかどうか。東京裁判は不平等裁判でしたが、わざとかどうか、大川周明氏の有名なシーンもいくつかありますのでその一つをお見せしましょう。東條英機氏の笑い顔にも注目。この緊張感の中、適度な余裕ももっていらっしゃるのでしょうか。

東條英樹氏は、元首相です。A級戦犯として位置づけられましたが、自決に一度失敗され、裁判にて絞首刑を命じられました。林個人的には、A級戦犯と言う言葉が嫌いです。なぜか?責任をとって亡くなった方々に対して、その御霊まで、そして亡くなった後まで、同じ日本人である我々がA級戦犯などといつまでも言えるものでしょうか?そして、靖国の問題でも、かならず出てくるのが「A級戦犯が祭られているのに、参拝するのですか?」といったバカげた質問の類のものです。彼らはアメリカの不平等裁判の結果、死刑を命じられ、その刑に服した方々なのです。彼らの御霊まで、現在の日本人がどうこう言えるようなものではなく、ただただ安らかにお眠りくださいと考えるのが通常だと思うのです。

終戦後まもなくして、裕仁天皇は連合国軍総司令官(GHQ)マッカーサー元帥と会談を行ないます。
マッカーサーは、天皇が命乞いに来たものと考えていたようですが、実際は違いました。天皇はマッカーサーに「私の命はどうなってもよいが、天皇の名にかけて、国民の命を守って欲しい」といわゆる『身代わり』に来たのでした。その覚悟に、マッカーサーは後の回想録でも「陛下の覚悟に感動し、感銘した」と語っています。その時の通訳が二人の様子を語っている興味深い動画があります。

<終戦後、マッカーサー元帥と裕仁天皇の会談>


終戦から、まもなくして昭和天皇は全国へ巡幸へ行かれました。終戦二年後の広島での巡幸風景をご覧下さい。背景に原爆ドームが映っています。玉音放送が流れて2年、天皇陛下と国民が一体化している様子がよくうかがえます。これは当然ですが、この映像こそ真実を語っています。よくご覧いただき、皆さんでこの映像の意味をよく考えていただければ幸いです。


終戦からちょうど65年が経ちました。

日本はどうなりましたでしょうか?
平和になりましたか?
強くなりましたか?
元気になりましたか?
便利になりましたか?
幸せになりましたか?
豊かになりましたか?
世界に誇れる国になりましたか?

そして。

命と引き換えに65年前に日本を守っていただいた先人諸氏に、胸を張れるような国になりましたか?

今の日本は、230万人の日本兵の皆様、80万人の日本国民の皆様の命と引き換えに得た平和でなりたっていると言っても過言ではありません。

現在の日本。文化水準や生活・技術レベルでは、65年前とは比べものにならない程、便利に豊かになっていると思います。しかし、「心」はどうでしょうか?

そして、日本人としての「気品」や「礼儀」「武士道」はどうでしょうか?
当時とくらべて、勝てる自信がありますか?

林個人としては、戦争に日本が負けてからはやはり、日本は何か大切なものを失ってしまったような気がします。

ヒトコトでは難しいですが、あえてヒトコトで言うと、「日本人としてのプライド」だと思います。

アメリカ民主主義教育の中でもちろん得たものもあるでしょうが、失ってしまったものも沢山ある。
いまこそ、日本人として、一人一人が正しい歴史認識を研究し、バランス良く世界的な視点で事象を見ていくことが必要ではないかと思います。

そして、今の日本は「個人」が「孤立化」しすぎています。「個」と「公」のバランスも適度にもちながら、縦・横のつながり、そう人間同士のつながりをしっかり実際の世界で持つことが重要です。
ネット、携帯、バーチャルな世界だけに流されることのなきように。

65年前、玉音放送を聴いた日本国民の皆さんが、今の日本を見たらどう思うでしょうか?

一人一人が考えていきましょう。

僕は、日本人の底知れぬ深み、強さ、清さ、優しさ、温かさに大いに期待していますし、まだまだ日本は捨てたものじゃないと思っています。

終戦。記念日。

一人一人が、「日本」を考えてみませんか?




※注: 林智宏は、いかなる思想・政治・宗教団体にも所属していません。


~今日のヒトコト~
ハヤシトモヒロは今年の8月15日に一体、何を書くのか?