自分は不幸だ、
これ以上に不幸はものはいないだろう。

そんなことを今の世の中においては言う人が多い。

何かあらば死にたい、
もう生きたくない、
嫌だから諦めて何もかも忘れない。

そういった気持ち(心)や行動が
己を更なる苦しみと絶望へと追い立てる。

心無き人は心ある人の言葉を聞き入れず、
心ある人は心なき人の嘆きの言葉を
あえて聞き入れようとしない。

迷いがあるのは生きている証拠、
愚痴や恨み辛みを述べるのもまた生きているからだ。

ならばこの言葉の奥にある、
その者の心をみれば良いだけのこと。

その心にあるものを見抜けば
苦しみ悲しみ恨み辛みを知ることなど
造作もなしとなるだろう。

そこから這い上がり、
上り詰めて山の頂に立つことは
そう難しきものではなし。