お昼ごはんを食べながら

ふとよぎった思考に

 

おや?

 

と反応して

ノートを書いてみた。

 

 

 

 

「あぁ、きっと○○さんに、

☓☓って 言われる なぁ・・・」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今まで本当に本当に

1ミリも疑うことなく

当たり前に使っていた言葉。

 

 

~される

~られる

 

 

 

 

少し前に、オンラインサロン

話題にあがっていて

それから気をつけて見るようにしていました。

 

 

 

 

 

そこで例えになっていたのは

 

「褒められる」

 

という言葉。

 

 

 

 

「褒める」は

私主体で放つこと。

 

他人目線、

他人視点がわかるわけないのに

「褒められる」

っておかしな表現だよね。

 

 

そんなところから始まり

サロンメンバー内で

いろいろなコメントが投稿されていました。

 

 

 

 

 

そう言われて考えてみると

私は、無意識で

 

~される

~られる

 

という言葉を使っていました。

 

多用していたかも。

 

 

 

 

褒められる(褒められた)

以外にも

 

・好かれる

・嫌われる

・怒られる

・あきれられる

・言われる

 

などなど・・・

当たり前のように使っていた。

 

 

 

 

だけど実際は、

 

相手が本当に

褒めてくれているのか?

 

好かれているのか?

嫌われているのか?

怒っているのか?

あきれているのか?

意図して言ったのか?

 

そんなことは

絶対にわからないこと。

 

 

 

相手の感じてることは

その人にしかわからないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日、ふと思った

 

 

「あぁ、きっと○○さんに、

☓☓って 言われる なぁ・・・」

 

 

 

この言葉に

 

おや?

また「られる」って思ったな。

 

と違和感を感じ

 

 

「○○さんが

☓☓と 言う かもしれないな」

 

と言い換えてみた。

 

 

 

 

 

すると、

 

相手がそう言ったら

私はどう感じるかな?

 

と自分主体に

パチンと視点が切り替わった。

 

意識が自分の中心に

戻ってきた感覚があった。

 

 

 

 

想像の中でではあるけど

 

相手の言ったことと

自分のことが

完全に切り離された。

 

 

 

 

相手が☓☓と言った。

以上。

 

私は○○と感じた。

以上。

 

 

 

 

 

これを、

 

嫌味を言われた

意地悪を言われた

怒られた

けなされた

 

 

などとしてしまうのは

相手が放った言葉(ただの事実)以上のものを

そこに自分が乗っけっている状態。

 

 

 

 

 

 

そう感じたことを

ノートに書いていて思った。

 

 

 

言われた

言われる

 

 

そんな言葉を使っている時点で

私は「被害者」の立場

物を考えたり、言ったりしているんだ。

 

 

 

 

意識の上では

相手を責める気もないし

どちらかというと

自分を責めるような流れではあるのだけれど・・・

 

 

本当は違ったんだ。

 

 

被害者の立場を取り

自分を責めているようなポーズを取りながら

(相手に対しても、自分に対しても)

 

実は、

相手のことを責めているのだ。

 

可愛そうな自分をアピールしているのだ。

 

 

そういう在り方を

宇宙に放っているのだ。

 

 

 

がーーーーーん。。。。チーン

 

 

 

 

 

 

言葉って、本当に

自分の考えていること

在り方、生き方

 

すべて出ますね。

 

 

 

 

これ、きっと

他人のことだったら

よく分かるんだよね。

 

見える。

 

 

「自分で言ってるじゃん」

って。

 

 

 

 

 

自分のことは

なかなか見えにくい。

 

 

でも、

 

自分ではなかなか気づけないことも

こうやってノートを書いたり

仲間の話を聞いたりすることで

見えてくることがある。

 

 

 

 

ノートって、ほんとすごい。

 

 

仲間の存在って、

ありがたい。

 

 

 

 

 

 

~られる

~される

 

には、よーくよーく注意して

違和感をキャッチしたら言い換えて

 

自分主体

 

で世界を見ていこうキラキラ