出会った人に
よく言われることがあります。
ユーコさんには
不思議とあれこれ喋っちゃう。。。
これ、
ただダラダラとお喋りをする
ということではなくて。
仕事や人生に対する
想いだったり
価値観だったり
哲学だったり
そういった 深い部分の話 を
なぜかしてもらえることが多いんです。
初対面の場合もあるし
何度かお会いしている人や
付き合いの長い人、
いろいろです。
時間は関係ないのですよね。
そして
私自身は、それを聞き出そうとか
そういった意図は全くなく。
自然とそういう流れになるんです。
最近もね、
お仕事で出会った方と
お話している中でそう言われました。
おもしろいのは、
どの人も
勝手に口が動いて
気づいたら
あれこれ話していた・・・
そんな感覚らしいこと。
そして、
ご自分が話したことで
自分自身のことを
深く知っていくというか
改めて言葉にして
確認するというか
そんな風に見えます。
今回出会った方が
聞かせてくださった話は
私が聞いて感じたこととして
第三者の目線で
文章にすることになったのですが。
出来上がったものを読んで…
自分がやってきたことは
間違っていなかったんだなって思えた。
私が生き返った。
涙が出るほど感動した。
そんな風に言ってくださって
ものすごく感謝してくれました。
でもそれは、
ご自身が口にしたことなんですよね。
その人の中にあったもの。
きっと、それが見えなくなって
しまっていただけなんだと思う。
その人自身が
とても大切にしていること。
肉体のその奥にある
【本質】の部分
なのかもしれない。
それはとっても輝いているから。
きっと、そうなのだろうな。
最近、ノートに
起こった出来事や感じたことなどを
どんなことでも書いているので
こういったことがあると
あれ、まただな・・・
と気づくようになってきました。
そしてね、
何を感じてもOKとしているので
「これ、私の才能だろうな」
という想いが出てきたとき
否定することなく、
そのまま受け入れられるようになりました。
私は普段の生活の中で
「何もしてない時間」
というのに
罪悪感を感じてしまうことが多くて。
「生産性」
という言葉に敏感というか。
生産性がない=ダメ
としていたんです。
でもね、
今日はこの「生産性」という言葉の
設定を変更しました。
今までは
生産性=成果物を生み出すこと
分かりやすいのは
「お金になるもの」ということでしょうか。
これ、
上手く行っている時はいいのですが
そうではない状態になったときに
とっても苦しい…。
なので、
その「成果物」のひとつを
源(神)である部分を
目に見える形にすること。
としました。
言葉・文字・絵・写真
それに・・・
踊り・詩・歌
などもそうでしょうか。
そういった
目に見える形として表現する。
自分の表現も、
人の表現も、
同じように。
なぜなら、みんな「一体」だから。
それこそ、
私の能力を生かせる仕事
と感じたんです。
源(神)である部分を
目に見える形にすること。
そのためにやることは
なんであっても
「生産性」があること。
ある意味、
ノートを書くこともそうだし
読書して対話することもそう。
自分の外見や内面を磨くこと
料理をすること
ブログを書くことも…
うん。
そうしてみます。
以前だったら
こういうことを感じても
言葉にはできなかったし、
もし言葉にできたとしても
「いやいや、何だそれ・・・」
って一蹴していたと思います。
でも、今は
感じるまま。
自分の中で感じたことは
「確信」として表現していく。
設定はいつでも
好きなように自分の中で
変えればいいだけだから。
あれ?
違ったかな?
と思ったら
また決め直せばいい。
そんな感覚を手に入れて
私はますます
自由になっています。


