私は毎日ノートを書きますが
その内容を振り返ってみると
自分の気持ちと向き合うことが
苦しかったり、おっくうに感じるときは
本やブログなどで見聞きした
「誰かの言葉」を書き写していることが
大半を占めていたり。
なので、
おや?
と気づいたら
なるべく自分の気持ちを
意識してみるようにして
それをノートに書くようにしています。
苦しいな
おっくうだな
と感じて自分の気持ちと
向き合うのを避けてしまうのって
その後の
「なんでそう思ったんだろう?」
が、責めの言葉に
なってしまっているからなんですよね。
ついつい自分を責めてしまう。
「なんでだろう?」と聞いても
同じところをぐるぐるするばかり。
そういうときは
保留にして置いておきます。
責めの「なんで?」を繰り返しても
質問は内側に向いているようで
意識が外側を向いちゃってるから。
「なんでできないの?」
「なんでそうするの?」
「正解」「答え」を求めてしまう。
ところが最近、
その「なんで?」が
自分責めの言葉ではなく
好奇心の「なんで?」に
変わっていることに気づきました。
例えば・・・
無意識に心の中で
誰かの意見を批判をしてしまっている時。
「いやいや、
それはどう考えても違うでしょー。
さすがにそれはあり得ないよ。」
なんてことを思ってイライラする。
さらに相手が
これこそが正しい!みたいな態度だと
余計に反論したくなる。
前だったらここで
実際それはどうなんだ?
何が正しいんだ?
この人の考えってどうなの?
と考えていた。
そして、
イライラしている自分に対して
なんで人を批判してしまうんだろう
と考えたりもしてしまう。
こんな自分ってどうなの?
なんで人の批判するんだろう?
みたいな感じで。
でも、最近ふと思ったのは
「あれ?わたしめっちゃ批判してるな。
すごいイライラしてる。ムカついてる。」
「ん?なんでだろう?
なんでこう思ってるんだろう?」
「相手が間違ってる。
そんなの変だ。って頑なに思ってるなー。」
「でもさ、それって本当かな?」
自分自身を観察する感じ。
人を批判している自分を冷静に見てる。
そして、
その感情が出てくること自体はOK。
として次に進んでる。
「なんでだろう?」と。
・
・
・
あ、ここか。
>その感情が出てくること自体はOK。
>として次に進んでる。
(ブログ書きながら気づく 笑)
感じることは全てOKとすることが
自然とできるようになってきたのかも。
まずは感じたことすべてOKとする。
そこがゼロ地点になり
またそこから新たにステップをすすめる。
「なんでだろう?」
そうすると、
その間に自分責めが入らないから
次の問いが
純粋な好奇心になる。
こうなってくると、ほんとラク。
好奇心で「なんで?」って聞くと
心はわりと素直に答えてくれる。
あたりまえか~。
責められるように
「なんで?」って聞かれたら
怖いし、嫌な気分になるしで
素直に思っていること言えないよね!
こんな感じで、
小さなステップではあるけれど
自分の中が変わっていっています。
毎日毎日、
自分自身に学び、
ノートに表現し、
成長している実感があります ![]()
自分の観察と研究が
どんどん楽しくなってきている![]()

