92歳になる義父と「予科練平和記念館」に行ってきました。
かつて、特攻志願兵と聞いていましたが、この記念館に訪問して初めて当時のことを詳細に聞くことができました。
予科練平和記念館があった場所は、戦争中 霞ヶ浦航空隊 があった場所で、昭和19年の2月に義父は15歳で、ここで入隊審査を受けて3日ほど共同訓練を受けたそうです。
当時は、暖房もしっかりしていなかったので、とても寒かったと言っていました。
その後は、木更津海軍航空隊に移され、訓練はそちらで受けたそうです。
記念館の中は、写真撮影ができないので、こちらでは紹介できませんが、当時使われた訓練道具や食器などを見ながら当時と様子を詳細に教えてくれました。
訓練中の寝床は、布団ではなくハンモックだったそうで、実物がこの記念館に展示されています。
こちらのHPで、中の様子が公開されています。
当時の飛行機の写真見ながら、飛行機の性能や役割なども教えてくれました。
80年近く前のことをよく詳細に覚えているなと感心してしまいました。
昭和19年は戦争末期ということもあり、使える飛行機は戦地優先だったようで、実際には訓練に使う飛行機は無く飛行訓練をすることは無かったそうです。
それでも、終戦直前には鹿児島の基地に、特攻要員として汽車で1週間かけ移送されたそうです。
(16歳で特攻要員とは恐ろしい時代だと思います)
幸い、飛行機に乗ることはなく終戦を迎えたそうです。
記念館の外に実物大の零戦の模型が展示されていますが、当時のタイヤなどはもっとゴムタイヤのようだったとも言っていました。
私は、この記念館の存在は知らなかったのですが、リアルな語り部に胸が熱くなってしまいました。
永遠のゼロも読んでいましたが、それ以上に予科練のことがよくわかりました。
永遠の零の映画も再度観てみようと思います。
きっと、違う視点で観れると思います。



