\ただいま/から始まる癒しの時間、

ついの住処でおうちリトリートを叶える!
たたかわないお片付けトレーナーの

おぐあゆです。

みなさん、体調にお変わりありませんか?

 

 

さて、

今日はちょっと重めのお話です。

 

まだ日が経っていないけれど

自分の気持ちの整理のために書いています。

 


 

いつか来る『その日』が来た

 

よく晴れた7月24日

実父を空へ、見送ってきました。

 

病気を患っていたので、

父を含め、家族全員が

ある程度の覚悟を持って

日々を過ごしていました。

 

その日はいつか来る。

 

絶対に、いつか来る。

 

だから

その日がいつ来てもいいように、

なるべく後悔が残らないように

私なりに行動してきたつもりです。

 

帰省した時には必ず肩を揉んだり

麻痺している手をマッサージしたり

コーヒーを一緒に飲んだり

なんてことない話をしました。

 

前回 6月に会った時も

『じゃあまた来るねー!』と

私はニッカニカな顔をして

手を振って別れました。

 

もしかしたら

これが最後になるかもしれない、

でもきっとまた会えるさ、

その時はそう信じて、別れました。

 

生きている父に会ったのはそれが最後でした。

 

 

写真が趣味だった父が撮った地元の海辺。
 
 

覚悟があっても・・・

 

覚悟をしていても

実際にその時が来ると

やっぱり悲しいし、寂しいし、

涙がスーっと流れてきます。

 

涙って不思議ですね。

目から出てくるけど、

なんで出るんでしょうか。

 

すごく悲しいのに、

楽しそうに笑っている父の写真をみると

今度は楽しかったことが思い出され

自然と笑顔になったり。

 

泣いたり、笑ったり、また泣いたり、

感情が大忙し&大混雑!

そんな自分の感情に付き合ってるところです。

 

おまえ、忙しいやっちゃなー!と

父がそばで笑っていそうです。

 

きっと、

形が定まらない今のこの気持ちは

時間の経過とともに、

いろいろ取り込みながらも、

輪郭がぼやけた丸っぽい形

なっていくんだろうと思います。

 

私にとっての穏やかな心の状態は

 輪郭がぼやけた丸っぽい形をしています。

 

 

私は、コッチ側の人だから

 

父はアッチ側へ逝ってしまったけど、

私はまだしばらくは

コッチ側で生きていきます。

 

コッチ側の私は、どう生きていくのか。

 

人生を振り返る瞬間が来たときに

私はなにを思うのか。

 

どうしたら、

後悔少なく生き抜けるのか。

 

昨日と同じような今日を過ごしていいのか。

毎日をやり過ごすだけでいいのか。

 

どうやら

ぼんやりと過ごす時間は大切でも、

ぼんやりと息をして生きているだけでは

いけない気がします。

 

終わりを見据えた上で、

今にフォーカスして生きる。

 

もれなく準備されている『死』から

一人たりとも逃げることはできません。

その事実は曲げられないし、変えられない。

 

なにを言ってるの!

死ぬ時のことを考えるなんて縁起でもない!

というのは時代錯誤な考えです。

 

その点、

父と母はいつか来るその日から

目を逸らすことなく

しっかり向き合っていました。

 

 

 

まだちょっと長くなりそうなので、

続きはまた後日・・・

 

<続く>