最近の中国飛来のPM2.5云々に関する報道は、わたしたちに否応なく次の冷厳な事実を思い起こさせるものとなった。それはすなわち、地球という惑星に住んでいるわたしたちすべては文字通りの運命共同体であって、隣の国の環境汚染は決して隣の国の領土内にのみ留まるわけではないという事実である。例を挙げるなら、もし北京の空気が汚染されているというのであれば、それは北京の空気だけが汚染されているという意味では決してない。

わたしたちはそのことを普段は忘れてしまっており、時に領土の所有権をめぐって激しい争いさえ展開するかもしれないが、どの国がどの領土を保有していようと、その領土というのは結局のところ地球という惑星の一地域に過ぎない。

この観点からすると、すべての地域つまり領土というものは、人類という運命共同体がいわば共同で管理すべきものなのではなかろうか。もしそうしないなら、隣の国の汚染を一体どうやってとどめ得るというのだろう。

実を言えば日本も以前は公害大国だった。自国の高度成長を優先させるあまり、たぶん大丈夫だろう、問題は起きないだろうと事をどんどんと進めていった。結果、公害の甚大な被害を受けた住人と企業また政府との裁判沙汰が今に至るまで続いている。

それが今回中国で同じように事が進みつつある。中国での報道が、北京の現状は以前の日本の四日市咳とほぼ同様と評していることからしても、進行中のことが決して小さいことではないのは誰の目にも明らかになりつつある。

そもそも今回北京の大気汚染がクローズアップされているのは、北京が首都であるということが大きいのだが(もっと汚染のひどいところからすると北京は7番目だそうだ)、それ以上に北京オリンピックの時との格差がひどいという点が挙げられよう。北京と周辺地域に政府による大幅な規制を強行した結果、世界が驚くような澄んだ空気が実現していたからだ。

だが現状からすれば、北京も結局のところ中国の一地域に過ぎなかった。大幅な規制を続ければいいのに、と思われるだろうか。実はここに人類が直面する地球規模の環境汚染の究極の解決策が既にあり、あとは人類全体の決断と行動とを待つばかりなのだ。