銃声の聞こえる
            銃声の聞こえる部屋…。
  
                                 
カリフォルニアからニュージャージー(以下NJ)に引っ越して、
誰ひとり頼れる人も、知り合いもいなくて、いきなり当時の
学校の事務所に駆け込んで『どこか住めるアパートを
紹介してくれ~』と言ってみたものの、学校に着いたのが
遅い時間だったので、明日また来なさいと言われ、
とりあえずNJでの1日目はLawrenceville のモールの
横にあるRt.1沿いのモーテルに泊まる事になった。
 
カリフォルニアで乗っていた車をボストンの親戚の家に
陸送で運んで、ボストンから車を 5時間弱  (慣れていれば
3時間半ぐらい)走らせて、NJの学校に着いて、落ち着けると
思ったら、1日目はモーテル暮らし。 全く未知の土地で
地図を片手に運転するのは、精神的にかなり疲れる作業
だった。 途中でNYの摩天楼を目にする事ができたけど、
正直 景色を楽しむ余裕などなかった。 
 
夜になって夕食をとろうと思っても、食欲がぜんぜん無く、
でも何か食べておかないとマズイので、無難にモールの
そばの中華料理屋に行った。 中華料理屋に行けば、もしか
したら中国語の話せる人がいるかもしれないから、もし話せれば
この土地の事情を聞いておこうと、とりあえず店に入った。
 
店はアメリカの地方都市に良くあるような、地味~な内装に
入り口に派手~なネオンサインがある感じで、メニューも
定番のHot&Sour Soup から、Sweet & Sour Pork とか、
Mu-Shu Beef など、ありきたりのメニューしかなくて、
とりあえず食欲もあまりなかったので、Mixed Fried Rice を
頼んだ。 味は可も無く不可も無くで、至って普通の炒飯。
結局3分の1ぐらいだけ食べて残した。 帰り際に店主らしい
おばさんに、中国語が話せるか聞いてみたら、飛びっきり
の笑顔で返事をしてくれて、早速これまでの状況を説明して
NJの土地の事情を聞き出そうと、質問責めをした。
(後日この中華料理屋は、地元ではあまり評判の良くない
店だと判明、以後ここに足を踏み入れることは二度と
なかった…)
 
2日目、朝 目覚めたらなんと大雪!
今まで大雪の中を運転した事がなかったので、
ブレーキの掛かり具合や、ハンドルの切り具合など、
勝手がぜんぜん分からなくて、モーテルの出口から
恐る恐るゆっくりと最初のカーブを曲がってみたら…、
想像以上に車体がスリップをし始めて、もう少しで
路肩に車をぶつけるところだった。 こういった経験は
全く初めてだったので、学校へ行くのにも通常20分
ぐらいのところを、低速運転のため、倍の40分も
かかって学校に無事到着した。 学校に着いたら、
入学手続き等をして、一番大事なアパート探しを
するために、再度事務所へ行って、2、3件紹介を
してもらった。 自分としては、たくさん回っても
疲れるだけだから、自分の勘を信じて、車で30分以内で
いける、NJの州都があるTRENTON のアパートに決めた。
この日の雪はかなり強かったので、(雪に慣れていなかっ
たので、後日 実は大した事が無いのに気づく)翌日に
アパートの下見のアポを取った。
 
3日目は確か土曜日だったので学校は休みで、
アパートの下見に行った。 午前11時ごろに
下見に行って、天気もたまたま良くなっていた
ので、うむを言わずその場で決めてしまった。
その後モールへ行って、13インチのTVと一番
安いビデオデッキを買って、電話で電力会社、
電話会社、ケーブルTV会社に連絡をして、週明け
から全部使えるように手配した。
 
4日目の日曜日に早速 引越しをして、なんとか
寝泊りできるぐらいの環境を整えることができた。
月曜からは学校だ~! 我ながら良くこのタイトな
スケジュールの中、ここまでたどり着けたもんだと
満足してる。
 
学校が始まると、忙しい日々があっという間に過ぎて、
当時の目標として『学校では日本語、中国語は話さない』、
『アジア人の友達は作らない』を掲げて、最初の学期は、
なんとか目標が達成できた。 ただこういった生活を続けて
いると、やはりストレスが溜まりやすくなるので、週末などは
デービス時代の友人に電話をしてたりしてた。
 
…そんなある日。 東部時間の午前3時ごろまでサンノゼ
住んでいた(正確にはMountainView に住んでいた)
MZちゃんと長電話をしていたところ、窓の外から突然…
パーン、パーン、パーン!っと3発、明らかに銃声のような
音が聞こえて、オレは反射的に部屋のライトを全部消して、
MZちゃんに小声で『今さっき、銃声のような音が聞こえた
から、とりあえず切るね。明日また電話する。』と言って、
オレはそ~っと真っ暗にした自分の部屋に戻った。
銃声が聞こえてから約5分後、パトカーが3台アパートの
下に止まって(自分は2階に住んでた)、いきなりオレの
部屋の窓にサーチライトが照らされて、オレはまるで
自分が犯人になったような感覚に陥って、心臓の鼓動が
バクバク言い出した。自分の部屋の窓がサーチライトに
照らされた様子は、まるでルパン三世が刑務所から
脱走するときに、看守がルパンに向かってライトを
浴びせてるのと同じような感じで、かなりスリルのある
雰囲気だった。 しばらくしたらパトカーは去って行った
けど、相当 緊張した。
 
後日 調べてわかった事だけど、オレのアパートの
隣りの棟で殺人事件があったらしく、犯人はまだ
逃走中らしい。 このアパートはいわゆる低所得者層が
借りているアパートで、なにやら訳ありの人たちも
多数入居していた。 大家の婆ちゃんは、かなり
優しくて穏やかな人だから、みんな甘えているのかな?
 
 
2週間後、オレは夏休みに入ると同時に引越しをした。 
  
                           
      流れ弾部屋
       約3ヶ月間 お世話になった部屋。
      自分以外 誰ひとり足を踏み入れた事がない…。
 
 
【恐い思いパート2】
2学期になって中国人の友達ができて(中国語を話さない
という禁を破ってしまったけど…) 車検の切れた車を運転
していた友達の家に遊びに行って、警察が突然やってきて、
最初は居留守を使っていたけど、最終的にはバレてしまって、
警察に無理やり連行されて死ぬほど緊張した事があった。
映画やテレビで見た世界がそこにはリアルにあった。
腰につけていたドデかいマグナムみたいな拳銃が今でも
オレの脳裏に焼きついている。 後日その友達に付き合って
保証人として裁判所まで行ってきたが、こんな思いは二度と
したくないと思った。
   
   
今日の1曲
ARTIST: Bonnie Raitt
SONG: I Can't Make You Love Me ('91)
 
この曲はブルース&カントリーの女大御所シンガー
Bonnie Raitt の珠玉のスローバラード。 ゲスト
ミュージシャンとしてピアノには Bruce Hornsbyが
参加してて、彼が奏でる切ないピアノは、何とも
言えず心にしみる。 この『銃声の聞こえる部屋』で
過ごした約3ヶ月の間、夜になって無性に淋しくなると、
部屋を真っ暗にして、ラジカセを大音量にして、よく
この曲をかけたものでした。 隠れた名曲です!
 
ちなみに Bruce Hornsby が他でゲスト参加した
有名な曲は、イーグルスの Don Henley のソロ
シングル 『THE END OF THE INNOCENCE』が
ある。この曲のピアノの前奏も軽快で すごくいい。
    
  
アーティスト: Bonnie Raitt
タイトル: Luck of the Draw
         
      
アーティスト: Don Henley
タイトル: The End Of The Innocence