私は年に数回、介護職員になるための講座で就職に当たっての心構えについてお話させていただいています。ですから、このところは介護業界内にブラック企業が多いという話に苦慮しています。
介護職の卵たちには、なにしろ実際に出来るだけ長く現場を見学させてもらうようにとアドバイスしています。
以下は、介護での友人人間の尊厳さんのお話です。
アミーユでの連続転落事故や虐待は記憶に新しいが、転落事故は事件が建物の外に出てしまったので、アミーユの危機管理をしているメッセージも隠蔽することが出来なかったとする考えが出るのも無理はない。アミーユにおけるメッセージの役割は、運営の管理のようだが、結局多発する苦情の処理が重要な役割と言って過言ではない。その処理能力は、優秀なものなので外部にもれない建物内部の出来事ならツジツマのあった処理をしてくる。
そして、それはアミーユとメッセージだけにあることではなく、大半の施設で同様のことが行われ、場合のよっては施設以外の介護事業所でも同様なことがあるとの話が、介護職仲間から聞こえてきた。
曰く、ベランダから外に転落したので隠すことが出来なかったが、建物内部の階段から落ちたのなら、外部には漏れなかっただろうという話だ。
介護員の中に、利用者本位は建前で、そのような考えを毎日実践していたら、身が持たないし第一時間がなく、やらなければならないことが出来ない、と言った考えがまん延している。その利用差本位という考えには、どの程度までといった限度がるのだろうし、仕方ないといった許せる部分もあるだろう。しかし介護職員の処遇の悪化により、利用者本位の考えは薄らぎ、限りなく利用者への強制的介護に向かっていると思う。
介護職の待遇は、消費税増税分を社会保障にと言ううたい文句とは裏腹に、悪化の一途をを辿っている。
今回厚労省は軽度の介護を必要とされた方(要介護ではなく要支援と認定された)のサービスを地方自治体に丸投げして来て、その実施要項が各自治体で公表され始めてきた。名古屋市でも軽度の方のサービスに対する介護報酬の原案が公表されたが、その金額はそれまでの7割程度の抑えられていて、多くの介護事業所が存続の危機に瀕している。
同時に介護職員の待遇もより過酷なものになり、そのせいもあってか介護施設や介護事業所の知られたくない話が、堰を切ったように漏れ始めている。
背に腹は代えられないからだんまりを決め込んでいた普通の介護職員が、悪化する待遇に嫌気がさし、退職を景気に日頃の疑問や不満をぶちまけるといった面もあるだろうが、あながち嘘ではないようだ。
人の役に立つと思い選んだ介護職だが、利用者さんにどのように接していいか解らぬまま、先輩と同じようにしていたら、それは利用者無視であり虐待や拘束であったと言う、素直な?元介護職も多いと思う。
義務教育では障害を持った人を、別の教室等で一般の児童とは隔離し教育するという傾向が増している。それは、障害者には特別な教育訓練が必要だとの教育理論に基づくものだろうが、ここではその成否は問わない。
しかし結果的には、健常者の多くが障害者と関わることなく大人になっている。
そのような中で、介護の資格を取ったからといって、急に要介護者の世話をするのだから、戸惑いは当然と言えよう。だから、理論や解説はさておいて先輩の介護職員を見よう見真似で、仕事を覚えてその方法以外の接し方を知らない介護職員も多いと思う。
しかしだ、他人の意思を無視することが日常化し、暴言や虐待、拘束に疑問を持たたくなった精神状態の人間とは、心が破壊された人間と言える。
時には無視や暴言、虐待は利用者さんだけに向けられるものとは限らず、介護職員同士でも行われても不思議ではない。
結果として、暴言や虐待・拘束の日常化は介護職員の仕事に対する誇りを喪失させ、介護職員の職場環境を殺伐としたものにして、離職の原因となっている。
そして、それは介護業界独特のものででもないだろう。一般の職場でも無視や暴言、虐待は、絶えず問題視されている。
平和学では貧困や差別、無視、虐待を、戦争の原因となる構造的暴力と言うようだが、この構造的暴力が日本社会で増大しているように私には見える。

