記憶が正しければ、私立高校(すべり止め)の次に受験した記憶があります。
年明けの寒い日だったと思います。
受験地は全国各地で行い、同日同時刻開始となります。
商船高専だけでなく、工業高専、電波高専すべて同じ日です。
商船高専では、受験科目は国語、数学、英語そして面接です。
学校でも受験はあったと思いますが、近場の福山市にて受験をすることとなりました。
数学、英語はそれなりに出来た気はしたのですが、国語だけは苦手で自信はありません。
面接は特に予習したわけでなく、聞かれたことに答える程度です。
面接時の記憶で残っているのは、「尊敬する人物は?」という質問に、
同席していた受験生全員、「父です」の答え。
「なぜ?そんなマニュアルあるの?」と思いながら、口から出たのは「羽柴秀吉」でした。
羽柴秀吉と言っても、選挙時にいつも出てくるあの人ではありません。
歴史上の羽柴秀吉です。
後の豊臣秀吉です。
羽柴のころの秀吉は、他人から学んで後の地位を築いた的なドラマがあったため、
何故かと聞かれたときに答えやすかったのです。
「父」と答えた場合、全てを語らない父のことはさっぱり分からないからです。
数日後の合格発表。
受かってました。
そして悩みました。
中学卒業していきなり、親元離れて寮生活するわけですから…。
親元離れるより、知り合いが誰も居ない点が一番の不安要素です。
しかし不思議なことに、(この不思議まだ続きます)
幼馴染みで近所の小中学校の同級生の従兄弟も商船学校に行くと言うではありませんか。
たまたま遊びに来ていたので話をすると、
「16歳になれば、バイクの免許が取れる」って言うし、心は決めました。
その後、公立の工業高校の受験も受け合格しました。
工業高校の入学受付に「辞退します」と告げると、
「えっ!?」って言われたことを、今でも覚えています。
中学校の卒業式も終え、期待を胸に商船学校の入学を待つのでした。
余談ですが、中学校の卒業式では胸のボタンが3つ無くなりました。
次は、入寮式そして入学式へと続く…。