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12月25日(火)~27日(木)の2泊3日の旅程で、陸前高田を中心に気仙沼、南三陸などを訪問しました。年末のご挨拶です。
昨年も同じ時期に1泊2日で弾丸ツアーを敢行しましたが、今年はなんとか2泊の日程を確保しました。(大船渡にも色々とご縁がありますが、今回は日程の都合で行けませんでした)
初日は、震災被災地初訪問のSさんとご一緒しました。朝6時に新宿駅でピックアップ、まずは気仙沼へ向かいました。順調に流れ、昼ごろに一関に到着。
一関のイオン・スーパーセンターで鏡餅を購入。去年もここで買い込んだのを思い出します。去年はバルセロナ留学中のAさんと一緒でした。もう、あれから一年・・・。
気仙沼では、まず港周辺の被災エリアをSさんにご説明しました。
復興の足どりは重いとはいえ、少しずつ見た目上の整理は進んでいますので、以前よりも言葉による説明の重要度が増しています。
ランチは、いつものように復興商店街(南町紫市場)で・・・と、思いきや、なんと喫茶マンボが定休日でした。それで、ちょっと歩いて復興屋台村の「あたみ屋」さんへ。
ここの海鮮ラーメンはオススメです。塩スープであっさりしていて、海鮮の甘味がじんわり。薄味なのに存在感がすごいです。是非お試しを!
復興商店街(南町紫市場)に戻り、「揚げたてコロッケ屋」さんにご挨拶。コロッケをいただきながら、四方山話です。鏡餅を差し上げました。
ここの商店街がクリスマスイヴで一周年。昨年、私もその頃にはじめて訪問しました。それから毎月一回以上のペースで皆勤賞(?)です。
素晴らしい、青紙一等の鋼材。刃の背を指で押した感じがぜんぜん違います。鏡餅をお渡しして、「また来年!」ということでお店を後にしました。
陸前高田に入り、まず月山神社に参拝。震災直後は、数百名の方々が身を寄せた場所。今はひっそりとしていて、雪をかぶった屋根が美しいたたずまいを見せていました。
被災エリアを半周ほどして色々とご説明。気仙沼よりもさらに、こちらでは「言葉による説明」がなければ何が起きたかを伝えにくくなっています。
片付いていくこと自体は地元にとって「前進」ですので、私としては出来るだけ工夫してお話しするように努めています。よそから来た語り部、のようなものです。
途中、消防署があった場所の少し先の水路で、サギでしょうか、大きな白い鳥達を見ました。ハクチョウ?と思いましたが、ちょっと違いました。
鉄くずの瓦礫を背景に、躍動する白い鳥。今の陸前高田を象徴しているような気もしました。
「佐藤たね屋」の佐藤貞一さんにご挨拶。津波体験手記、「The Seed of Hope in the Heart」のことが、先日Japan Timesにとりあげられた佐藤さん。
以来、日本在住の英語圏の方々を中心に色々と声がかかっているようです。「はなそう基金」の設立目的のひとつである「被災地からの情報発信」のロールモデルです。
初めて訪れたSさんに、「佐藤たね屋」の復活のストーリーをご説明。
写真右側、かの有名な「竹筒で5メートル手掘り」の井戸。今年ポンプがついて、今は屋根が出来始めていました!(この屋根は、どなたか腕に覚えのある方が作成中なのだそうです)
竹駒のほうにコメリ(農業系に強いホームセンター)の出店が決まったとのことで、そうなると野菜の苗の売り上げに響きそうだ・・・とつぶやいておられました。
震災前にも45号線沿いにコメリはあったのですが、やはり復興と共に戻ってくるのですね。それ自体は歓迎すべきこととして、佐藤さんの商売への影響は個人的に気になります。
ここは地盤かさ上げの対象区域でもあり、その時間軸によっては近い将来に移転も必要になるとか。
個人的には、この「佐藤たね屋」という存在は人類の世界遺産に匹敵する価値があるものだと思いますが、どうなっていくのでしょうか・・・。
足元の「少し前進」と、どんどん新たに生まれてくる不安とが交錯する中、鏡餅をお渡しして幸運を祈念しました。
夜は、いつものようにOさんの仮設住宅におじゃまして、ご飯をご一緒しました。震災後に北海道から高田病院に来て地域医療を支援している高橋ドクターも合流。
仮設住宅入居の方々の生活不活発病予防のために立ち上げた「はまらっせん農園」が医学的効果も確認され、学会でも表彰されました。
「復興対談シリーズ」にご登場いただくために、ちょっと異例ではありますが、食卓で対談!まあ、このほうが高橋さんのお人柄が出ていいかなと思います。
対談記事の仕上げを急ぎます。是非ご期待ください!
明けた26日(水)は、早朝4時に起床。同行していただいたSさん、9時に丸の内で仕事があるということで、一ノ関の新幹線始発に乗って帰京!
前夜からの雪で路面は完全凍結。雪道の運転には慣れていますが、やはり客人の送迎となると緊張します。慎重に運転して、無事一ノ関に到着。Sさん有難うございました!
その後、少し一関のローソンで休憩してきたら、空が白んできました。峠を越えて南三陸へ・・・。途中で夜明けになりました。雪の平原、美しい朝日。
「志津川自然の家」の敷地内にある仮設住宅で、毛糸などの手編み作品を作成している「SKC」(自然の家かあちゃんクラブ)にご挨拶。
しかし、早く到着してしまったので、しばらく「さんさん商店街」で時間をつぶしました。開店前の商店街を歩きましたが、寒い、風が強い!
9時の開店を待って、I Love MinamisanrikuのTシャツを追加購入しました。復興支援とかじゃなくて、単に色合いとデザインが好きなので愛用しています。
さて、10時になるのを見計らってSKCへ。もう年内は活動終了ということで、今回はいつもの編み物部屋ではなく、「○カフェ」(これで、「和カフェ」と読む)という集会スペースへ。
鏡餅をお渡しして、コーヒーをいただきながら四方山話。おばあちゃんが作った白菜漬も食べさせていただきました。おいしい!おばあちゃんの味!
皆で記念撮影。僕がかぶっている帽子は、もちろんSKC製です。来年が皆さんにとって少しずつでも良い年になりますように。
南三陸の被災エリアも、徐々に片付けは進行しています。この「有名な」建物の周辺も、重機が稼動中でした。
壊れた防潮堤を、あらためて近くで見てみました。中はゴロゴロした岩の塊を入れただけなのですね・・・。外側が破れたら、一気に壊れますね。
海には、養殖のブイや船が見られるようになっています。しかし、まだ個人の漁師さんが生計を立てることが出来るような状況には程遠いのだとか。
海を見ていて、思いました。
美しい海。豊穣の海。恐ろしい海。
でも、海に「意図」があるわけではありません。海はずっとそこにあって、風が吹けばさざ波になり、嵐が来れば大波になり、地震があれば津波になり、人が暮らせば漁場になります。
生き物はみんな、最初は海からきたのですね。津波のことをきっかけにして、海のことを、もっとよく考えないといけないなと思いました。
自然のほうに「意図」がなくても、人間のほうで「意味」を感じとる必要があると思います。今回の津波で、それを感じなければ。
海をしばし眺めた後、陸前高田へ。45号線は大渋滞。この渋滞で今地震が来たらどこに逃げるか。そんなことを随時考えながら走りました。
午後一番に高田病院に寄って、前夜対談した高橋ドクターの白衣姿での写真を撮影。その後、英語音読会の活動に興味をお持ちの方を、某仮設住宅にお訪ねしてもろもろご相談。
とりあえず、その方が使いたい英語会話の日本文を書いていただいて、それを当方で翻訳してオリジナル教材を増やしていく方式(英文添削コースと言います)で始めることに。
15時から18時の間は、毎月英語音読会でお借りしている竹駒の「とうごう薬局」「あらや訪問リハビリセンター」の事務室に居させていただきました。
陸前高田に来ていて不義理になってもいけませんので、音読会の参加者の方々に一応ご連絡。もしお近くを通る際にはお立ち寄りください、ということで。
何名か、実際にお立ち寄りいただけました。鏡餅をお渡しして、四方山話。最近のことから震災時の恐ろしいことまで、いろいろ、話しました。
僕はこの人たちが大好きです。この人たちが幸せになるなら、引き換えに自分の寿命が少し短くなってもいいと思ってます。神様。
夜は、英語音読会参加者のYちゃん(小6)の仮設住宅へ。Yちゃんは、某派遣プログラムで選抜され、先日ハワイで英語スピーチをしてきました。
"My dream is the Recovery of Rikuzentakata"というタイトルのスピーチ。2ヶ月くらい前に本人が日本文を書き、それを英語音読会講師陣で英訳しました。
その後、英語音読会講師や地元の英会話教室の先生などの助けを得て、Yちゃんは猛練習。メモを見ない暗記スピーチですから、たいへんです。
文法的に出来るだけやさしくしましたが、それでも、もとの日本文がしっかりしているがために、やはり中高生レベルの文法が入らざるを得ない部分もありました。
それを、とにかく音読を繰り返して習得。その過程で、単語も覚えたし、発音もどんどんよくなっていきました。何よりも、本人が目標に向かって努力を続けたのが素晴らしかったです。
当日のビデオを拝見しましたが、それはそれは立派なスピーチでした。ほんとうに良かった・・・。陸前高田の希望を感じました。
夜遅くなってから、再びOさんの仮設住宅へ。前夜対談した高橋ドクターもまた合流されて、しばし懇談・・・。いろいろ、お話しできました。
今朝は4時に起きて、一路東京へ。振り返れば、想像だにしえなかった色々なご縁に恵まれた一年でした。
震災復興は活動の目的ですが、その過程で、ほんとうに色々な人の縁がうまれて、つながって、広がって行った一年です。
すべての方々に、心から「有難うございました」と申し上げたいです。