何の話?
「私、入院の前日にちょっと転んでしまって。
いつもなら手をついて庇うんだけど
その時は重い荷物を持っていて
両手がふさがっていてね。
とっさに手をつくことが出来なくて。
でね、荷物を持ったまま
テン、テン、テンって3段くらい
尻もちをつきながら階段を落ちてしまったの。
テン、テン、テンって。
本当なら病院とか行った方がいいんだろうけど
次の日、ここに入院することが決まっていたから
私、そのまま来ちゃったんです。
整形外科とかにかからないでそのまま。
だからね、私、今お尻にあざがあって。
だって、重い荷物を持ちながら階段をお尻で
テン、テン、テンって落ちちゃったから。
3段くらい、お尻でテン、テン、テンって。」
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何の話が始まったんだ!
いや、聞き耳を立てていたわけではなく
隣のベッドから聞こえてきてしまったのだ。
薄いカーテンの向こうには
入院者、看護師、麻酔科の医師(?)がいる模様。
手術の前日に、当日の流れや麻酔についてなどの説明が行われる。
手術室まで自分の足で歩いていくことや
前室でされる質問には「Yes,No」や頷きではなく
きちんと言葉で応える必要があることを教えられる。
質問も事前に決まっている。
手術当日の日付。
自分が受けるのは何の手術なのか。
名前と年齢。
今現在体にある傷や絆創膏などの位置。
本人確認と手術内容の確認が出来たら
前室から手術室に入り
手術台には自分で上る。
手術台に上ったらどうするのか。
どんな麻酔を使うのか。
どんな手順で麻酔をかけるのか。
手術後の状態や
歩行練習や食事の開始タイミングなど。
色々説明を受けていたところからの
尻もちエピソード。
突然何の話が始まったんだ。
いや、聞き耳を立てていたわけではなく
隣のベッドから聞こえてきてしまったのだ。
聞くつもりがないのに
気になっちゃうじゃないか。
お隣さんとは顔を合わせたことはないけれど
看護師さんや担当医さんとのやり取りから推測すると
家事も仕事もバリバリこなす
いわゆる「できる女」系っぽい。
「今現在体にある傷や絆創膏などの位置」
どうやらこの言葉に引っかかって語り始めたらしいが
尻もちをついたことも
お尻にあざがあることも
本人的には恥ずかしくて
隠しておきたかった事だったんだろうなぁ。
人間、テンパると余計なことまで語るよね。
婦人科の手術で
お尻のあざまで確認するかは定かではないが
見つけられる前に申告しておこう。
っていうことなんだろうな。
笑い事ではないんだろうけど
なんだかおかしくて
吹き出しそうになるのを必死にこらえた。
お隣さんはきっと
とってもかわいい人なんだろうな…。
当日
私の手術は14時開始。
前日の夜から絶食が始まって
当日の8時頃に浣腸。
手術前に胃腸の中身を空にする。
朝6時以降は水分の経口摂取も禁止となって
水分補給は
9時頃から始まる点滴で賄われる。
手術着には自分で着替える。
浣腸前までに着替えるよう指示が出ていたので
7時ごろ早めに着替えていたら
浣腸の呼び出しがかかった。
早くないか?
生理食塩水を使って
自宅でしたことはあるが
医療機関での浣腸は初めてだ。
薬液注入後
最低5分は我慢するよう言われた。
自宅でやった時は
1時間くらい我慢できたので
余裕綽々でいたら、とんでもなかった。
アレ、5分も我慢できる人いるのかな。
点滴を開始する際
針の交換がされた。
入院してからちょうど1週間。
衛生面からの配慮として
週1回は針を変えるらしい。
左腕から右腕へ。
ちょうど肘のあたりに刺されていたが
今度は手首あたりにしてくれるらしい。
余談になるが
入院中、シャワーを使用する際には
点滴針を濡らさないように
ビニール手袋をはめる。
ビニール手袋の中に浸水しないように
口をテープで固定するのだが
肘あたりに針があると
テープがはがれてしまったり
腕が動かしづらくなったりするので
手首あたりにしてもらえるのは
とてもありがたい。
手袋をしているところは
洗ってない感じになっちゃうしね。
手首あたりの血管は
肘あたりよりも細いのか
何度も刺し直しをして
とても痛かった。
挙句、うまく刺さらなかったらしく
結局右肘当たりに刺しなおされてしまい
シャワーの不便さは変わらなそうだった。
手術までは食事以外
普段と変わらない行動をしていていいが
起きているとうっかり水を口にしてしまいそうなので
眠ることにした。
何度かまどろむうちに
手術への呼び出しがかかった。
予定時間よりも早い。
午前の手術が早めに終わったのか。
私にはもともと遅めの時間を通知されていたのか。
朝の浣腸の呼び出しも
予定より早かった。
予定時刻より早いことに
少しいら立ちを覚える。
相手の都合で
私の行動が振り回される。
もしくは
私には「嘘の情報」を知らせている。
ということだ。
「治療」という名目で
とでもない暴力を受けている気になる。
これは目の前の手術だけじゃなくて
ここに入院してからずっとだ。
「治療を施したい」
という相手の都合で
「治療を希望しない」
という私の意志は無視される。
ここを出るためには
したくもない手術を受けるしかない。
でもそれは
あたかも私自身が望んでそうしたかのように
署名をさせられ
自分の口で何の手術をするのかを言わされる。
納得いかない。
でももう仕方ない。
ここから出るために手術を受ける。
それしかここを出る方法がない。
救急車に乗せられた時点で
紹介状を渡された時点で
診療所を訪れた時点で
こうなるレールが既に敷かれていた。
診察を受けなければよかった。
そう思っても時間は巻き戻らない。
納得いかなくても
ここを出るためには
このレールをたどるしかない。
選択の余地は私にはないのだ。
前室でされた質問に
昨日教えられたとおりに答える。
手術台の上に乗ると
目元以外を緑の衣装で覆い隠した
沢山の人から見降ろされる。
これからこの人達全員に
私の内臓を曝け出すのか。
想像すると本当にグロテスクだ。
最初に背中に麻酔用の針を刺すという。
そんなこと説明されたか?
この針もとても痛い。
麻酔用のチューブを1本通すと言われたが
1本通すために何回針を刺すんだよ!
っていうくらい何度も激痛が背中に走った。
痛いのは嫌なんだってば…
手術台は想像したより相当細い。
ベッドに寝る感覚でいると危ない。
麻酔チューブを通すために
横向きになっていた体を
仰向けに直すのもとても気を使う。
手もぴたりと体につけていないと
落ちてしまいそうだ。
仰向けになって少し落ち着くと
鼻と口のあたりにマスクがあてがわれた。
そこから甘ったるいアルコール臭を感じたと思ったら
数秒後にブラックアウトした。