希望

 

手術をするにあたり

担当医師からの説明を受ける。

 

輸血した後は

病院側の用意したレールに則って

手順を踏んでゆくだけだった。

 

病院側としてはそうやって

半自動的に事が進むように

マニュアルが組まれて

仕組化されているんだろう。

 

でもここで最初に立ち返ってもらいたかった。

 

私は輸血も手術も治療も希望していない。

「輸血しないと退院させられない」

と言われたから仕方なく輸血をしただけであって

そのあと手術するなんて

一言も言ってない。

 

にも拘らず説明を行い

来週早々には手術を執り行うと言う。

 

手術をしないのならば

投薬治療という選択もあると言う。

 

私はこのまま帰りたいんだけど。

 

本人の希望や意志はあくまでも無視なんだな。

どうしても延命しなければならないんだな。

 

言いたいことは山ほどあるけど

ここで担当医個人を相手に

理念や思想や思考の話をしても

埒が明かないことは目に見えている。

 

だってこの人達は

手術をしたいわけだから。

延命をしたいわけだから。

そのために人生かけて取り組んできた人たちだから。

 

「生きることは命あるものすべてが望んでいることだ」

「生きることのできる命を断ち切らせることは悪である」

と信じて疑わないわけだから。

 

ここから出るためには

薬物治療か手術かを選択

生きる」ための覚悟をしなければならない。

 

嫌だけど。

 

選択肢が多すぎるのも困るが

一択しかない道を進まなければならないのも厄介だ。

 

選択したくない一択の先にある

分かれ道の選択は

自らしろと迫ってくる。

 

薬物治療手術か。

 

だがもう手術をしない

という選択はありえないだろう。

 

投薬治療を選択したとしても

半年経ったところで

その先には手術が待っているわけだから。

 

まあ、投薬治療を選択して

薬を飲まない。

通院しない。

という「治療放棄」する選択肢もあるわけだが

治療を強要する家人がいる状況で

それを貫き通すには

気力も体力も必要だ。

 

おそらく毎日、毎時間、毎分、毎秒

「薬を飲め」

「通院しろ」

と般若のような顔で呪文を繰り返す。

本人の希望や意志を無視して。

 

他の恨み節も織り交ぜて来るかもしれない。

 

うつ状態を引き起こしかねないようなその生活を

不毛な会話と意志疎通のできない生活を

命を落とすその瞬間まで続けることは

無駄なエネルギーを消費するだけだと

この時の私は判断した。

 

 

 

恐怖

 

手術の説明は

実をいうとあまりよく聞いていない。

ある程度のリスクはあるだろうし

どんなことをするのかも

大体予想がつく。

 

失敗して命を失うような手術でも無ければ

後遺症が残るような病気でも無い。

 

体を切るわけだから

ある程度の傷が残るは当たり前だし

傷が完全に塞がるのに

ある程度時間がかかるもの当たり前。

 

病名も分かっているし

部位も分かってる。

 

私が一番嫌なのは

痛い」ということ。

 

これまで私はそれなりに

健康には気づかいをしてきた。

 

食事には気を付けていたし

運動も取り入れていた。

 

なぜならば

痛いのも辛いのも苦しいのも

嫌いだからだ。

 

ちょっと風邪をひいて

熱発したときに頭が痛むのも嫌だし

喉が腫れて飲み込むのが辛いのも嫌だし

呼吸が浅くなって苦しいのも嫌だ。

 

痛風になって足が痛くて歩けなくなるのも嫌だし

糖尿病になって食べたいものを食べられなくなるのも辛い。

行動や食事に制限がかかるのは苦痛だ。

 

たったそれだけのことでも

ものすごく嫌なのに

あえて体に傷をつけて

自分ですら見たことも触ったこともない

体の深くに収められている臓器を

他人に見られて触られて

さらにその一部を切り取られる。

 

グロテスクだ。

 

麻酔をかけられるから

直接手術を見ることはないだろうけど

手術の終了とともに痛みも終了する。

 

なーんてこと、あるはずがない。

 

手術のグロテスクさもだけど

手術後の痛みの方が怖くて仕方ない。

 

痛みがなくなるまで

麻酔をかけておいてくれてばいいのに。

 

きっとそんな希望も叶えてくれないんだろうな。

 

 

レール

 

手術をするかどうかはよく考えて

署名をした後で書類を提出してくれてよい。

と担当医師は言っていたが

説明を聞いた後その場で署名をすることにした。

 

今しなければきっと署名しない。

だってハナから手術を希望していないのだから。

 

それに、署名しない状態が続けば

誰かしらが入れ代わり立ち代わり

署名するように説得に来るのが目に見えている。

 

輸血を拒んだときと同じように。

とても面倒くさい。

 

3日後が手術日だ。

 

さっさと手術を終わらせてもらいたいものだが

そうもいかないらしい。

 

長い3日間がやって来る。

どんなに気が揺らいでも

もう手術をしないという選択は出来ない。

 

署名をしてしまっている。

 

一緒に手術の説明を聞いていた家人は

そんなに早く(3日後)に手術が出来るなんてびっくりだね。

的なことを言っていたが

私が運び込まれた時に

あらかじめ用意されていた緊急枠だと私は思う。

 

病院側としては

運び込まれた即日に

輸血も手術も署名を貰えて

すんなりレールに乗って事が運ぶように

用意されていたのではないだろうか。

 

その時点で言えば

手術日はちょうど1週間後の計算になる。

 

ところが当の患者が

輸血しない

手術しない

とゴネたものだから

きっと病院側は焦ったに違いない。

 

その週に確保できる緊急枠も

おそらく数が決まっているだろう。

だからこそ

私にあてがわれた緊急枠の手術日に

手術が行われるように

私を説得する必要がある。

 

もしかすると

この日を逃したら

手術は再来週以降に持ち越されるかもしれない。

 

そうなると緊急枠として

新たな患者の受け入れも難しくなるわけで…。

 

病院側の経営に詳しいわけではないから

この妄想が正しいかはわからないけれど

何となくそんな想像を巡らせてみる。

 

もちろん運営をして利益を出して

職員を養っていかなくてはならないわけだから

そういった調整は必要だろうし

理解するところでもある。

 

しかし何か機械的な印象を受けるし

なにより気持ち悪い

 

そのレールから外れるパターンも

あっていいんじゃないの?

 

 

誘惑

 

手術を待つばかりとなった私は

少々手持無沙汰になっていた。

 

貧血が解消し

体も軽くなり

食欲もあり

入院前より体調が良い。

 

何ならこのまま退院でいいんじゃないかと思うくらいだ。

 

手術しなくてよくないか?

 

という考えが刻々と強くなり

やはりあの時しなければ

署名しなかったなと思うばかりだ。

 

もう逃れられないことは分かっていても

やはり手術は嫌で嫌で仕方がない。

 

今から取り消すってことは出来ないですかねぇ

手術しないって手はないですかねぇ

このまま帰っても大丈夫な気がするんですけどねぇ

 

ことあるごとに看護師さんにぐちぐちしていたら

看護師さんからにっこり返された。

 

今から取り消すって言ったら

 私以外のいろんな人がたくさん来ますよ

 

デスよネー…。

 

手術するにあたって

患者側であるものを用意する必要があるらしい。

腹帯」と呼ばれる布だ。

 

妊婦さんとかのお腹に巻いて

お腹を支えるものらしいが

私の場合は手術後の

傷を固定するために使用するとのこと。

 

病院側が用意して

退院時に精算するということも出来るが

1階にあるコンビニで

自分で購入してくることも出来るらしい。

 

手術を前にナーバスになっている私に

「気晴らしに買いに行って来てみては?」

と看護師さんが提案してくれた。

 

なかなか出してくれなかった外出許可が

「腹帯」を購入するためなら出るようだ。

 

チャンス到来。

 

歩くのに邪魔になる点滴は外れている

服装もTシャツ短パン、レギンスだ。

そのまま街歩きしていても違和感のない着衣

 

靴は甲側が浅くてすっこ抜け易いが

頑張れば走れなくない。

何なら裸足でだって走れる

 

鞄には貴重品一式が揃っている

それに、携帯一つあれば

電子決済で大抵のことが出来る。

国内なら大体どこにでも行ける

いい時代になったな

 

手首についているバーコードが邪魔だが

どこかで鋏を買って

切ってしまえばなんてことない。

 

土地勘もあるし

私はもともと運動神経がいい。

振り切れる!!

 

脱走チャンス。

 

そうすれば手術しないで済むかもしれない!!

 

壮大な(?)逃亡計画が一瞬、頭をよぎったが

そのあとが面倒くさすぎて断念した。

 

とはいえ、今外に出たら

永久逃亡とまではいかないが

スタバまで猛ダッシュして

お気に入りメニューを買う。

位のことはするだろうな。

 

それはそれで面白いが

悪目立ちしたいわけではない。

既にブラックリストに入ってるだろうし。

 

変な間の後、外出提案を断ったら

看護師さんは少し戸惑っていた。

 

デスよネー…。