心の整理整頓始めました。

銀河_奈美です。

 

文句。

言っていいよ。

文句言っていい。

 

ネガティブな言葉は使っちゃいけないって

ネガティブな感情は持っちゃいけないって

 

自分に言い聞かせてたよね。

 

それってもうやめていいよ。

疲れるでしょ?

苦しいでしょ?

自分を嫌いになるでしょ?

 

こんな感情持ってしまう私は未熟だ。

こんな言葉を発したら運気が下がる。

 

それ自体が未熟だし

運気は下がってゆくよ。

 

それに早く気付いた方がいい。

 

10年前に気づけていたら良かったね。

でも今気付いたんだ。

 

ごめんね。

 

たくさん努力して

たくさん情報集めて

たくさん我慢して

たくさん歪ませて

 

苦しいことわかってたのに

やめてあげられなくてごめんね。

 

今日、今やめるね。

 

ただね、文句を言うのにも

方法がいくつかあったんだよね。

 

そんなことも知らなかったじゃない?

 

だから

怒りっていう感情だけを使って

乱暴な言葉で

相手に文句を言う

っていう方法しか知らなくて

相手のことも

不快にさせてしまってたんだよね。

 

違う方法があったんだよ。

乱暴な言葉で文句を言う以外の方法。

 

ただ、そうされることが嫌だって伝えるだけ。

 

怒りながらじゃない

泣きながらじゃない

喚きながらじゃない

薄笑いでごまかしながらなじゃない。

 

なんの感情も載せずに

ただ伝える。

 

それを不快だと感じているということを伝える。

 

自分がされて嫌なことは相手にもしない。

 

それって正しいことだと思っていたじゃない?

でも違うんだよね。

 

自分がされたら嫌だけど

相手はして欲しいと思うことも中にはある。

 

逆に

自分はされたら嬉しいけれど

相手はして欲しくないこともある。

 

自分がして欲しいことを相手にしても

相手は喜ばなかったり

不快な思いをさせてしまうこともある。

 

それはさぁ

自分と相手は違う存在なんだ

っていうことを認めることなんだよね。

 

そして相手にも

私とあなたは違う存在なんだよ。

っていうことに

気づいてもらいたいということを

伝えていいんだよね。

 

相手は私を怒らせようとして

そういう行動をとったわけではないじゃない?

 

相手にとっては自然な行動で

私が不快に思うとは思っていなかったんだよ。

 

それは私とあなたとの違いであって

どちらが良いとか

どちらが悪いとかって

いうことでもない。

 

ただそこには存在の「違い」があるだけ。

 

違うから言葉で態度で伝えないと

伝わらない。

 

「相手の立場になって考えて」

なんて言葉

全くの嘘なんだよ。

 

どこまで行っても

私は私でしかないし

相手は相手でしかない。

 

自分はこう思うから

相手もきっとこう思う

なんてのは幻想だったんだよ。

 

だから自分が今どうしたいのか

相手にどんなことを期待しているのか

言葉にしないと伝わらない。

 

前はさ

怒りに任せて

相手に文句言ってたじゃない?

そんなこと繰り返しても

相手との関係性は良くならないし

 

一時は相手も気をつけて

気を使って注意するけど

一定期間が過ぎたら

元の木阿弥で。

 

また相手は自分の思うままに行動して

私の怒りをかって

私は爆発して…

の繰り返し。

 

そのうち

それにも疲れてしまって

改善策を見つけるために

たくさん本を読んだり

情報を集めたりして

 

相手が変わることを期待するより

自分が変わった方がお得(お徳)

 

とかいう情報を見つけたら

自分の感情を押さえ込んで

「あいつは変わらないから仕方ない」

って自分は変わったつもりになって

 

でも心の中では

怒りをぐらつかせて。

 

ネガティブ感情や

ネガティブ思考は

自分に不幸を引き寄せるから

 

幸運体質のために

ポジティブ思考と

ポジティブ発言を

増やそうキャンペーンを

自分だけでやって

 

でも心のずっと奥底では

怒りに震える自分を

必死で制御していたり。

 

もうやめよう。

そんなこと。

 

そうやって我慢すれば我慢するほど

自分が行きたい場所にたどり着かない。

 

そうやって押さえつければ押さえつけるほど

不満がゴミのように自分の中に溜まってゆく。

 

心がゴミ屋敷の住人だよ。

 

心の中にゴミを貯めるのやめな。

心の中のゴミ掃除しよう。

 

今からやろう。

 

文句言っていいんだよ。

不平不満言っていいんだよ。

 

それがゴミを溜め込まない方法。

 

でも

今まで経験してきた方法とは

ちょっと違う方法で

今度は文句言ってみようよ。

 

「文句」っていうと

今までの方法に頼ってしまいそうになるから

「リクエスト」っていう言葉にしよう。

 

「あ、これやられるの、イヤだな」

って思ったら

「やめてよっ!」

って怒鳴るんじゃなくて

 

「なんで今そうしたの?

 私、そうされるの嫌だからやめてくれる?」

 

ってリクエストしてみて。

きっと違う世界が広がるから。

 

怖いよね。

今までやってなかったことだから。

試したことない方法だから。

 

それで相手の反応がどんななのか

わからないから怖いよね。

 

でもいいじゃん。

 

今までの怒りに任せて「文句を言う」

という方法だったら

相手から同じく「怒り」が返ってきた。

 

相手から「怒り」が返ってくることには

もう慣れてるじゃん。

不愉快だけど。

 

私が不快に思って「やめて」って怒ったのに

怒られた相手が私に怒ってくるとか

意味不明だって思ってたけど

 

私が何かに反応して怒って

相手が怒りで反応してくることには慣れてるじゃん?

 

おちょくりで返ってきた時もあったよね。

 

こっちは真剣に怒っているのに

「何怒ってんの〜」みたいな。

そんな返しにももう慣れてるじゃん?

 

しおらしく謝られたこともあったね。

 

その時はいいけど

しばらくすると相手は忘れてしまって

また同じことの繰り返し。

 

それにももう慣れてるじゃん?

 

だったらそれ以外の反応が来ても

きっとそのうち慣れるから大丈夫。

 

怖いのは最初だけだよ。

 

なぜ恐怖が生まれるのかについて

解説してくれる本にも出会ったよ。

 

ある人は「勇気」の問題だ

って言っていた。

 

勇気。

勇気を出して飛び込もう。

 

なんてこと書かれてたし

その本に影響された人は

勇気を出してみて

って言っていたけど

 

私はちょっと違う人を見つけたよ

ごく最近。

 

恐怖が生まれるのは

情報がないからなんだって。

 

私にとっては

「勇気のなさ」よりも

「情報のなさ」の方が

しっくり納得できる。

 

たとえ部屋の中が真っ暗であったとしても

そこが自分の部屋で

1秒前まで電気がついていて明るくて

どこに何があって

誰がいるのかいないのか

 

そう言う情報があれば

真っ暗で何も見えなくても怖くない。

 

通り慣れた道をゆくのは怖くない。

どのタイミングで車線変更したらいいとか

どちら側に分岐点があるのかとか

信号のない横断歩道がどの辺にあるのだとか

その道の特徴という情報がある。

だから怖くない。

 

でも初めてゆく道は怖い(不安)。

車線変更のタイミング間違えて

曲がりたいところで曲がれなかったり

曲がりたくないのに曲がってしまったり

ガソリンスタンド見落として

ガス欠の恐怖を味わったり。

 

だからね。

情報ってすごく大事だよ。

 

調べたり読んだりして

得られる情報もあるけど

 

経験でしか手に入らない情報もある。

 

その経験から

ずっと遠ざけてしまっていて

ごめんね。

 

経験していいよ。

それこそ自由に。

 

制限なんかないんだよ。

やりたいことやっていいよ。

文句言っていいよ。

不平不満言っていいよ。

自己主張していいよ。

 

お綺麗なことを

言って

着飾って

 

表面だけ繕ったって

中身が腐ってちゃ

しょーもないよ。

 

思いのたけを放出していいよ。

でも方法だけは考えてね。

 

「怒り」じゃない方法もあるよ。

もちろん「怒り」を使いたかったら

それを使ってもいいよ。

 

でもね。

怒りを使っていた

今までの自分の歴史を振り返ってみて

どう思う?

 

欲しいものが手に入っていた?

どんな結果になっていた?

 

それが欲しい結果じゃなかったら

手に入れたものがいらないものだったら

 

違う方法もあるよ。

 

もっと早くに気付けていればよかったね。

散々自分を追い込んで

周りとも衝突して

 

苦しい道のりだね。

悲しい道のりだね。

 

もっと上手にコミュニケーション取れるように

解放してあげられなくて

本当にごめんね。

やっと気付けたんだ。

 

自分を嫌わせて

ごめんね。

自分を好きにならせてあげられなくて

ごめんね。

 

過去の私へ。

また書くね。