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ショコラのブログ

ブログやら語り。

実写映画のシンデレラを見てきたので今さら感想投下。
ネタバレ&個人的解釈ありありだから嫌な人は逃げて。



















まず、アニメ版と違って、シンデレラの本名はエラ。
灰まみれの(Cinder)エラ(Ella)=シンデレラ(Cinderella)
灰まみれという意味の忌み名というのは原作通り。
これがキーワードね。
マレフィセントやアリス.イン.ワンダーランドもそうだけど、アニメ版と同じ世界観の同一人物じゃなくて、実写は実写でのオリジナル。



エラが赤ちゃんの頃から少女になるまで、父親と実の母親と幸せに暮らしてた頃から物語はスタートします。
原作でもアニメ版でもちゃんと描かれた事がないし、実の両親が死んで継母が来る事はネタバレしなくても周知の事実だから、この時点で気持ちが痛い。

幸せだった生活が終わり、実母の遺言。
どんな時でも勇気と優しさを忘れないで。優しさは魔法だ、と。
実母は彼女が死ぬ事で、遺された娘がどんなに悲しむか、今後辛い目に遭うかもしれない事を見越して、そう言い遺したんだと思う。
気持ちまで塞ぎ込んでしまわないように、
人や運命を恨んで絶望しないように。

実際に「勇気と優しさを常に忘れずに生きる」という矜持は、エラの人生の基礎になる。
幼いうちに実母が死に、その後に父親まで旅先で死んだだけでも絶望するくらい悲しいのに、使用人も全員暇を出された事で味方が誰一人いなくなり、同時に家事を全てやらされ、私室は屋根裏に追いやられ、寒さのあまり暖炉の前で床に寝る日々。

継母をお母様と呼ぶ事も許されない、同じ食卓に並ぶ事も許されない、家族として扱われない。
此処は元々、自分の家なのに。

こんな虐待レベルの仕打ちを受けてもエラは継母と継姉を恨まないし、かといって自分が悪いように自虐的にもならない、運命に絶望もしない。
エラは淑やかで清純ながら、信じられないくらい芯の強い女性だと思うけど、その強さの根源はやっぱり実母の遺言。

そんな彼女の心を砕く「シンデレラ」という忌み名。
「働くだけの生き物に変えられたような」と表現されるように、彼女は実の親から貰った名前すら歪められてしまったのね。
ここで初めて耐えきれなくなって飛び出した森で王子と出会うんだけど、これは運命としか言い様のない出会い。
王子だとは未だ知らないし、彼を王宮見習いだと思ってるエラ。
エラは舞踏会で初めて彼の正体を知り、
王子はラストで初めて彼女がただの村娘だと知るんだけど、この出会いの時点で二人はもう惹かれ合ってるから、王子だから恋したわけでもないし、綺麗なドレスを着てるから恋したわけでもない。
本当に、恋はするものではなく落ちるものとはこの事だと言わんばかりのシーン。

思えばアニメ版のシンデレラも、相手が王子だと知らずに「彼」そのものに恋をしてたね。



舞踏会前のピンクのドレスを破るシーン。
アニメ版でもあるトラウマレベルのシーン。
ここまで酷い仕打ちに堪えてきたエラ(アニメ版のシンデレラも)だけど、実母の形見である大切なドレス、憧れの舞踏会に行く権利とそのために頑張ってきた努力を同時に破り捨てられて、ついに絶望してしまう。
本当に、何の罪もない彼女がこんな目に遭わなきゃならないのか苦しくなる( ノД`)…

そんな彼女を救うフェアリーゴッドマザー。
マザーとあるように、実母の代わりをするように。
みすぼらしい老婆に化けて現れ、ミルクが欲しいと物乞いするゴッドマザーに、エラは絶望して泣いてるところなのにもかかわらず、快くミルクを与える。
これが、あの日の野獣王子にはなかった優しさか・・・。
これも常に優しさを忘れないでという実母の教え故だと思う。
そんな彼女を試したのかしらね、ゴッドマザーは。
エラの優しさがエラ自身を救う事になったわけだ。

カボチャの馬車と、実母のドレスを元にしたドレス、ガラスの靴のシーン
そして舞踏会のシーンは、昔から世界中の女性達が憧れてきたイメージそのままの、形容し難いほど素晴らしく美しいシーン。

エラ「なんだか怖いわ・・・。私はプリンセスじゃないただの女の子。」

トカゲ「私もただのトカゲです。人間の従者じゃない。
楽しみましょう、この時を。」

このやり取りが印象的。

もう舞踏会のシーンは多くを語るまい・・・

王子の結婚相手についての話。
国王と王子、父と息子の愛情がクローズアップされてたのは良かった。
エラと実の両親との家族愛、王と王子の親子愛。
エラと王子の恋愛だけに限らず、広義の意味での愛を描く路線はストーリーに深みが出て良いな。
アナ雪も、アナとエルサの姉妹愛と、アナとクリストフの恋愛、オラフが説く愛の定義と、広義で描かれてたのが魅力的だったもんね。

王子の結婚相手として「王女」にこだわってた国王も最期には、「愛のために結婚しろ。」と言い遺す。

ジャスミンの結婚相手を「王子」にこだわってたサルタン王や、
氏族達を政略的にメリダの花婿選びをしようとしてたエリノア王妃、
人間が嫌いだからアリエルの恋を認めなかったトリトン王

彼らが最終的には娘の気持ちを受け入れて認めたのと、この国王も同じ気持ちだと思う。
一国の王として、王妃として、王子として、王女としての立場や、国民のためにも国の政略は大切だけど、
王族である前に親として、我が子に幸せになってほしいという気持ちはやっぱり抑えられないと思う。


そして終盤で吐露される継母トレメイン夫人の気持ち。
「ある女が夫と娘二人と幸せに暮らしていました。
しかし夫が死んでしまいました。
女は再びある男と結婚しましたが、そこには男の愛娘がいました。
こうして女は男の愛娘の幻影を見続けて生きていかなければならなかったのです。」

これが彼女の物語。
再婚した男が、夫になった男が自慢気に話す「前の妻にそっくりな美しい愛娘」。
死んだ者には永久に敵わない。
エラの父がトレメインを新しい妻として迎えて新しく愛そうとしても、彼の心に一番強く存在し続けるのは前の妻(エラの実母)。
エラを見る度、彼女はそれを思い知らされたんじゃないのかな。
でもエラはどんなに虐め抜いても絶望しないし恨みもしない、善良で優しい姿が崩れない。
エラが恨んできたり、仕返しするようならどんなに気が楽だったか、
虚しくなるし余計に苛立つから虐め続けるんじゃないかしら。
何の罪もなく何をしても優しいまま、それでいて自分の思うままにはならない強い意思のあるエラだから憎くて堪らなくなる。
トレメイン夫人も哀れだよね。



ラストシーン。
出会った頃と同じ気持ちでお互いの気持ちを確かめ合う二人。
王子だから、プリンセスだから、じゃなくて、ありのままの二人だからお互い恋に落ちて結ばれる。
シンデレラ=継母達に働くだけの生き物にされたような忌み名だったのに、自分で堂々と「シンデレラです。」と名乗ったのが感動的。
シンデレラとしての自分も含めて、ありのままの自分だと認めて、彼ならそれを受け入れてくれると信じる事が出来たからかな。



世界中の人達が祝福してきた有名なハッピーエンド。


アナ雪と魔法にかけられては少し変化球気味とはいえ、ディズニー映画らしいロマンスがちゃんと描かれてたから良いとして、
マレフィセントの役立たずとなじられるフィリップ王子が個人的に不満だったし、

一部では「もうプリンセス(女性)にプリンス(男性)は不要な時代」とまで言われてて、それは納得いかないと思ってたけど、

そんな事はない、いつの時代も素直に愛し合うロマンスは素敵だし、古典的なおとぎ話を否定してるわけじゃない、
恋をして愛する相手と結婚する事はジェンダーに反するものなんかじゃないと、久々に示して安心させてくれる作品だった。

シンデレラを実写化するなら、これ以上の出来はないと思う。