ちょっと前、
「こんなこと勉強して何の役に立つの?」
と言われた時、
「こんなことも出来ないお前は何の役に立つの?と返すのが最強」
とかいうコピペをみて、心底アホかと思った。まさか親や教育者が本気にはしないと思うが、こういう一言は容易に知性を殺す。
「お前は何の役に立つの?」という言葉には、勿論「お前も今は役に立たないけれど、将来は役に立つだろう?それと同じだ」という含意があると思われる。子どもはこの含意を理解しない。「お前は役に立たない」と受け取る。これは、言ってはいけない言葉だ。こういう言葉が、子どもから学習自体を奪う。
子どもはどんな時に「こんなこと勉強して何の役に立つの?」というかというと、
その分野が面白くない時、
意味が分からない時、
とにかくその勉強をしたくない時、
に言うのであって、つまり「どんな役に立つのか」→「役に立たないでしょ?」というのは勉強しないことの理由づけないし口実なのであり、あくまで手段であって目的ではない。
こういう言葉を言う時、その子供はそもそも「その知識が役に立つとは思っていない」のだ。
「役に立つ」という言葉の意味にもよるが、もしかすると実際にそうなのかも知れない。身に着けても直接使わない知識というものは、実際ある。
だが、大人はそれを承知の上で、「知識はどんな風に生きてくるのか」ということを力説し、また「役に立つこと」を実感させてあげないといけないと思う。直接、その場で勉強をさせる為ではない。知識を身に着けることの重要さ、というものを教える為だ。
それを教えることは大人の義務であり、その教え方を考えることは大人の義務だ。少なくとも、「将来役に立つから黙ってやっておけ」などと言ってはいけない。
要は、「大人も思考放棄してはいけない」ということだ。少なくとも私はそう思う。
──────そうだね。
単に『君の成績を上げるため』ではなく『君が将来生きていくのに必要なスキルを取捨選択する能力を研くため』だね。
今高3の子が高1の時、
「なぜ数学を学ぶのか」
「なぜ理科を学ぶのか」
「なぜ歴史を学ぶのか」
「なぜ国語を学ぶのか」
「なぜ英語を学ぶのか」
全部説いた覚えがあるよ。
伝わってくれたかは分からないけど、それ以降勉強から逃げなくなったのは事実。
やっぱTKは生徒に恵まれてるんだね
