「盲目の犬ぞりレーサー」 -私に見えるのは可能性だけ- レイチェル・セドリス著 幻冬舎刊
アイディタロッド・トレイル国際犬ぞりレースについて書かれた文献であれば、わたしはなんでも読んできました。
レースの起源は1925年にさがのぼります。
その年の冬、ノームの孤立した村で、ジフテリアが爆発的に流行しており、大勢の子供たちが命の危険にさらされていました。
それを突き止めたカーティス・ウェルチという医師は、近隣地域に対し抗毒素血清を援助してくれるよう要請しました。一刻も早く血清を届けてもらわないと、ノームの子供たちの多くが命を失うことになるのです。
当時、アラスカには飛行機は二機しかなく、その二機ともが冬の間は装備を外され、フェアバンクスの格納庫で眠っている状態でした。
スコット・C・ボーン州知事は、犬ぞりのチームを使い、血清を輸送させることにしました。
二十人のマッシャーたちが選ばれ、ネナナからノームまでの674マイル(約1085km)の距離、雪に埋もれた険しい山道をリレーすることになりました。疲れきった犬のチームを従えてノームの第一大通りにたどり着き、血清を無事届けたのはガナー・カーセンというマッシャー(犬ぞりレーサー)でした。
マッシャーたちが、数百人の幼い命を救ったのです。その後、彼らの偉業を称えるために開かれたのがアイディタロッドの犬ぞりレースでした。
もしそのとき、マッシャーたちが、「そんなことは不可能だ」という多くの声に屈していたら、血清がノームに届けられることはなかったでしょう。
(中略)
私とパパは数年間をかけて、準備をしてきました。特に、アイディタロッドのようなレースに対応できるだけのスピード、スタミナ、強い意志、忍耐力を兼ね備えた犬種作りです。
一部の犬を除き、私たちは、自らの手で犬を育てることにより、こちらの人格にぴったりの犬を手に入れるようにしています。子犬のころから、その適性を見極め、才能のある子を伸ばしていくのです。
パパとわたしは犬たちに”やればできる”という姿勢を求めます。わたしたちが信頼をおける犬こそが必要なのです。問題児やケンカ好きは向いていません。走るのを心から愛する、熟練した競技犬を常に求めています。
トレーニングもすべて、自分たちの手で行います。こうすることで、不適格な子犬を除き、真の競技犬になり得る子を保つことが可能になります。
わたしが子犬と遊んで、本物の才能があると思っても、どんなタイプのそり犬になるかは、大体生後半年ぐらいになって、その子にハーネスをつけるまではわかりません。数匹の子犬を経験豊かなチームに混ぜることで、プロの目には、どの子がチームの傾向に合うかが一目瞭然となります。
子犬は、チームにぴったり合うような、生まれながらの走り方を持っていなければなりません。トレーナーは犬の生まれ持った歩調を変えることはできないのです。チームに適合するか、否かです。
チームがわたしの命令で前進し、子犬が飛び出し、着地したときに、その子の背中のラインが滑らかで、タグラインが必要以上に張り切っていたり、ゆるかったりしていなければ、その子犬には生まれついての才能があり、チームの歩調やリズムに適合しています。競技犬になるには勝者の精神が必要とされます。勝者とは秘められた力を持ち、勝利をつかみ取るために、信頼の置ける犬です。
走行中、わたしは常に、わき見をしたり、タグラインをゆるんだままにしていたり、横を走っている仲間に寄りかかったりする犬はいないか、目を光らせています。こういう習性のいずれも、その犬がやる気を失っているか、覇気に欠けている証拠です。
わたしのチームがアイディタロッドのようなレースを走っているさいに、やる気のなさや、弱気、敗北主義的姿勢はお呼びではありません。わたしはチームの犬たちには、強い動機を持って参加してほしいのです。肉体的、精神的に弱気な犬はチームから外します。外された犬たちは余生をペットとしてどなたかの家庭で暮らします。
あらゆる犬ぞりチームの心臓であり魂にあたるのが、リーダー犬です。アイディタロッドを四度優勝した、スーザン・ブッチャーは自分の最高のリーダー犬、テクラについて語っています。
スーザンがチームをトレーニング走行させているとき、凍結した川を渡ろうと三回にわたって試みました。見た目は安全でしたが、毎回、テクラは凍りついた川面に足を踏み入れることを拒みました。
スーザンがどうすべきか考え始めた瞬間、氷の橋は突然崩壊したのでした。もし渡っていたら、スーザンとチームは氷の下に飲み込まれ、命を落としていたことでしょう。しかしテクラは危険に対し驚くべき第六感を備えていたのです。
これこそわたしがリーダーとして望むタイプの犬です。リーダー犬はペースを決めます。リーダー犬はチームを動かすエンジンなのです。リーダー犬は命令を遂行します。時には、スーザン・ブッチャーの件のように、リーダー犬はマッシャーよりも状況をよく把握しているのです。
アイディタロッド・トレイル国際犬ぞりレースについて書かれた文献であれば、わたしはなんでも読んできました。
レースの起源は1925年にさがのぼります。
その年の冬、ノームの孤立した村で、ジフテリアが爆発的に流行しており、大勢の子供たちが命の危険にさらされていました。
それを突き止めたカーティス・ウェルチという医師は、近隣地域に対し抗毒素血清を援助してくれるよう要請しました。一刻も早く血清を届けてもらわないと、ノームの子供たちの多くが命を失うことになるのです。
当時、アラスカには飛行機は二機しかなく、その二機ともが冬の間は装備を外され、フェアバンクスの格納庫で眠っている状態でした。
スコット・C・ボーン州知事は、犬ぞりのチームを使い、血清を輸送させることにしました。
二十人のマッシャーたちが選ばれ、ネナナからノームまでの674マイル(約1085km)の距離、雪に埋もれた険しい山道をリレーすることになりました。疲れきった犬のチームを従えてノームの第一大通りにたどり着き、血清を無事届けたのはガナー・カーセンというマッシャー(犬ぞりレーサー)でした。
マッシャーたちが、数百人の幼い命を救ったのです。その後、彼らの偉業を称えるために開かれたのがアイディタロッドの犬ぞりレースでした。
もしそのとき、マッシャーたちが、「そんなことは不可能だ」という多くの声に屈していたら、血清がノームに届けられることはなかったでしょう。
(中略)
私とパパは数年間をかけて、準備をしてきました。特に、アイディタロッドのようなレースに対応できるだけのスピード、スタミナ、強い意志、忍耐力を兼ね備えた犬種作りです。
一部の犬を除き、私たちは、自らの手で犬を育てることにより、こちらの人格にぴったりの犬を手に入れるようにしています。子犬のころから、その適性を見極め、才能のある子を伸ばしていくのです。
パパとわたしは犬たちに”やればできる”という姿勢を求めます。わたしたちが信頼をおける犬こそが必要なのです。問題児やケンカ好きは向いていません。走るのを心から愛する、熟練した競技犬を常に求めています。
トレーニングもすべて、自分たちの手で行います。こうすることで、不適格な子犬を除き、真の競技犬になり得る子を保つことが可能になります。
わたしが子犬と遊んで、本物の才能があると思っても、どんなタイプのそり犬になるかは、大体生後半年ぐらいになって、その子にハーネスをつけるまではわかりません。数匹の子犬を経験豊かなチームに混ぜることで、プロの目には、どの子がチームの傾向に合うかが一目瞭然となります。
子犬は、チームにぴったり合うような、生まれながらの走り方を持っていなければなりません。トレーナーは犬の生まれ持った歩調を変えることはできないのです。チームに適合するか、否かです。
チームがわたしの命令で前進し、子犬が飛び出し、着地したときに、その子の背中のラインが滑らかで、タグラインが必要以上に張り切っていたり、ゆるかったりしていなければ、その子犬には生まれついての才能があり、チームの歩調やリズムに適合しています。競技犬になるには勝者の精神が必要とされます。勝者とは秘められた力を持ち、勝利をつかみ取るために、信頼の置ける犬です。
走行中、わたしは常に、わき見をしたり、タグラインをゆるんだままにしていたり、横を走っている仲間に寄りかかったりする犬はいないか、目を光らせています。こういう習性のいずれも、その犬がやる気を失っているか、覇気に欠けている証拠です。
わたしのチームがアイディタロッドのようなレースを走っているさいに、やる気のなさや、弱気、敗北主義的姿勢はお呼びではありません。わたしはチームの犬たちには、強い動機を持って参加してほしいのです。肉体的、精神的に弱気な犬はチームから外します。外された犬たちは余生をペットとしてどなたかの家庭で暮らします。
あらゆる犬ぞりチームの心臓であり魂にあたるのが、リーダー犬です。アイディタロッドを四度優勝した、スーザン・ブッチャーは自分の最高のリーダー犬、テクラについて語っています。
スーザンがチームをトレーニング走行させているとき、凍結した川を渡ろうと三回にわたって試みました。見た目は安全でしたが、毎回、テクラは凍りついた川面に足を踏み入れることを拒みました。
スーザンがどうすべきか考え始めた瞬間、氷の橋は突然崩壊したのでした。もし渡っていたら、スーザンとチームは氷の下に飲み込まれ、命を落としていたことでしょう。しかしテクラは危険に対し驚くべき第六感を備えていたのです。
これこそわたしがリーダーとして望むタイプの犬です。リーダー犬はペースを決めます。リーダー犬はチームを動かすエンジンなのです。リーダー犬は命令を遂行します。時には、スーザン・ブッチャーの件のように、リーダー犬はマッシャーよりも状況をよく把握しているのです。
